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成長期に両親を否定する。否定とまでは言わないまでも、両親のようにはなりたくない。ふつうによくあること――。そんなふつうなことを、奇妙な宗教にハマった両親を持つ少女の立場から描いているが、正直、設定からしてかなりムリヤリ感が強く、何やら小賢しい。といってもさして大きな事件やドラマが描かれるわけでもなく、要はそんな両親を受け入れられるか、という話。宗教絡みの水のエピソードも作為的で、ただの水道水に入れ替えるおじさんも何だかね。結局、愛さえあれば?
友人から回ってきた原作を何冊か読み、NHKのドラマシリーズも観ているこちらとしては、キャスティング(昔の名前で出ています的な俳優さんがゾロゾロ)も、妙に間延びした春樹監督の演出も、かなり鮮度不足で、劇中の料理にばかり気がいったり。そういえば角川映画が旋風を巻き起こしはじめていた頃、私は公務員をしていたが、同僚曰く、“角川博”が映画を作ってんのね……。テナことを思い出したのも、ゆるい演出を持て余したからで、美術セットがチマチマしているのも残念。
おやおや、腹いせで青春殺人道中記ですか。森田作品は短篇も“ゆうばり”でグランプリ他を受賞したという前作も未見なので、闘病中の自分の欲と想念を描いたという本作のみのカンソーだが、いじめられっ子が血に魅せられた少女に引きずられての殺しの道行き、ファンファーレどころか雑音さえ響かない。殺しのシーンの演出ばかりに力を入れているのもただ味けなく稚拙。監督は「俺たちに明日はない」「冷たい熱帯魚」に思い入れがあるようだが、場面はあってもドラマは皆無。
実の母だというまだ若い女性とまっすぐ向かい合い、相手の言い分をしっかり聞こうとする育ての親夫婦の姿勢――。一にも二にもこれに尽きる。河瀨監督は、恋をして望まない妊娠をしたその少女のいきさつや、6年後に脅迫まがいの行動に出るまでの状況も丁寧にフォロー、誰が悪いという描き方をしていない。“特別養子縁組”に関する情報が多いので、そのPR映画的側面もあるが、涙や泣かせを排した展開はなかなか。映像も徒に抒情に走らず節度がある。子役の素直な演技もいい。
「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」「タロウのバカ」「MOTHER マザー」と、子と親(親と子ではなく)の関係を描くことに執着してきた大森立嗣。新興宗教を信仰する両親とその子という題材は、ともすればワイドショー的な好奇の対象にされかねないが、親という存在を絶対化して信じるといういとなみそれじたいが宗教のようなものである、という真理を大森はきちんと踏まえている。だから彼の映画は他人事に堕さない。芦田愛菜もよいが、蒔田彩珠が素晴らしい。
おどかしの達人である角川春樹が、「最後の監督作」と銘打って拵えた映画は、衒いの一切ない人情劇。およそ映画とはこれくらいでよい、という肩の力の抜き方、変哲はないが着実な画作り。いずれもつつましさを是とする物語に合っている。淡々としたなかにあって、激情への流れを違和感なく見せる松本穂香と古きよき棒読み演技をあえて再現した窪塚洋介、巧い。一つ二つエピソードを刈り込み、もう30分短くしても……と思ったが、それもまた「最後」の思い入れゆえと許容したい。
笠松将と祷キララ、いい顔をしている。そのたたずまいを生かせば、「馬鹿な大人」に対する二人の逃避行にニューシネマ的なリリカルさが宿りそうだが、なにやら紋切り型の破壊衝動とダイアローグの貧しさがむしろ役者の個性を殺いでいる。残酷描写もただ気前よくやってますというだけで生理的な嫌悪感に欠け、それではこの物語を語る意味がないのでは。たとえば90年代における松村克弥の「オールナイトロング」、あのヒリヒリとした時代の切迫感のその先を見せてほしい。
大森立嗣もそうだが、描くべき物語を自身の裡にかかえる映画作家は、いかなる原作を得ても「自分の映画」をつくりあげてしまう。血のつながらない子を授かる夫婦と血のつながった子を手放す少女のあいだで展開される物語は、明らかに8ミリ時代の作品から河瀨直美が一貫して描きつづけてきた「承認」をめぐる思索の延長上にある。日本の映画ジャーナリズムはいよいよ河瀨作品に本気で向かい合わなければならない時期に来ているのではないか。そしてここでも蒔田彩珠が輝いている。
実在しそうな、へんな水を売る宗教の信者となった父母を演じる永瀬と原田。こういう役で生きのびていくのかと、ちょっとさびしくなったが、覚悟を感じさせる「らしさ」だ。蒔田、大友、黒木、高良の助演陣も、それぞれ危うさの出し方に見るべきものが。主人公ちひろを演じる芦田愛菜はこの役なら感じさせたい天使性がもうひとつ。でも、どうしたらよかったのか。大森監督、勇気ある決断だったろうか。何が正しいかを観客に押しつけない。必然的になのか、だれをも救おうとしない作品。
角川春樹らしい派手さは、味つけを濃くしすぎない程度にいちおうあるが、本当においしい料理を出しているだろうか。娯楽映画で時代劇ならやってもらいたい「悪との対決」には、ほとんど興味がなさそうだ。そして明るい照明の江戸時代、人はもう慣れっこになったのだろう。石坂浩二と藤井隆、マンガ的で笑わせるが、「影」を作ってはくれない。女性が中心、ということくらいしか現在性が感じられない。思いあう二人。なんとかそれになった松本穂香と奈緒にお疲れさまと言いたい。
学校にはイジメ集団と勇気のない教師、家には思慮なく叱る父とやさしいだけの母。働かない叔父がいて味方してくれるが、頼りにはならない。そんな環境で追いつめられる吃音の高校生を笠松将が演じる。だれにともなく「死ね!」と彼が叫ぶのを聞きのがさず、悪夢的な殺戮の連続へと彼を引き込む同級生の女子に祷キララ。ボニーとクライドになりそこなう二人。森田監督、暴走とその後も描いて何を確かめたのだろう。画も演技も上滑り。「バカな大人」に立ちむかうにはナイフが小さい。
サスペンスを感じさせる導入部だが、事件がおきるから怖いのではなく、この世界のあり方に怖さがあるのだと気づかされていく。永作博美演じるヒロイン佐都子の戸惑いの表情にまず引きつけられた。いまを生きる不安。人物たちそれぞれの自然な声も、寄りの決まる画も、ただ「ありうる」をつみかさねる以上の大胆で細心な構成も、それに結びつく。河瀨監督と共同脚本の高橋泉、なぜフィクションなのかを考え抜いていると思う。人が願っていいこと、まだある、と励ます力をもつ作品。