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市井の人々の社会問題を正面から真摯に描いたケン・ローチ的な視線。どうにもならない人間の運命を映画的なロマンスやミラクル描写を極力避け、現実的な容赦ない展開をさせた。一見無神論的で運命論的な世界観ではある。嘆願する信仰の対象としての神の存在はなく、結果的に神の存在を匂わせ、人間の尊厳を描いてみせた。現在どこの先進国でも見られる核家族化や孤独の光景は、誰も語りたがらない題材である。しかしこの映画の存在理由は、まさにそこにあるのかもしれない。
冒頭のダンスシーンと戦場シーンとの対比から、次第に戦場シーンがサッカーシーンへとスライドしていく様。三態とも命を燃やし消耗していく。ある意味「生命の輝き」そのものの現象として描写。敵対関係から甘い恋愛に落ちていく様相から、喪失や悲劇まで経験の物語の振り幅は、『愛の不時着』や「博士と彼女のセオリー」などの要素を彷彿させるオカズ満載の満足感を感じさせる。最大公約数的に共感を得る作品。戦争による国家間の喪失は、男女の人生における代償とも重なる。
ニコールのここまでの汚れ役「ペーパーボーイ 真夏の引力」以来か。日系監督のクサマの素晴らしい演出は、脚本段階から練り上げられた。ウィリアム・エグルストンやフレッド・ヘルツォークなど一級の写真家の影響が、色濃い撮影。風景や皮膚の肌理によって物語を雄弁に語り尽くそうとする映像。もはやクサマの映像哲学の結晶、集大成とも言える傑作だ。原因(ドキュメント)と結果(痕跡)との因果関係が映像の本質だとすると、映像と記憶を犯罪によって縫合していったようだ。
国家や政治、古い仕来り、慣習は男性原理が産んできたものだとすると、この作品で描かれる感性は完全に女性性に属する。そして「映像に残す」という行為が政治に利用されやすい特性を考えると、それは男性性に属しやすいものと言える。このように本来「映像に残されない」ような若い女子たちの熱く瑞々しい情熱や挫折の一連の映像は、男性社会は無視をするかもしれない。それほどこのような映像作品は古い社会には破壊力を持ち得るということになる。未熟だがその熱が伝わる。
障がい者が不慮の事情で新生活に臨み、疎んでいた共棲相手と打ちとけ互いに成長してゆく物語の人権啓発や情操教育面の意義はもちろん解るが、新作映画にはステレオタイプの刷新という課題も求められる。その面で本作の主人公は適度に下品な大人の感性をもつキャラに造形され新鮮で共感しやすく、イスラエル映画的な黒い笑いの配合も好ましいセンスだ。とはいえ中盤以降、優しい人々に囲まれ感動の結末に突き進む一本調子は定型から脱却しておらず、俳優の演技が良いだけに歯がゆい。
映像が美しく後味の良い感動実話。しかしスポーツの才能で戦争の怨讐を克服する核心のテーマに関しては、実際になし得た優秀な選手がいた事実=現地の常識に依存しすぎ、物語でその困難な過程の再現に成功していない。とくにトップリーグに転じて以後、ドイツ人主人公がいかに英国大衆の支持を得たかの重要な部分が大幅に端折られている。戦時に敵国どうしだった男女の恋愛が簡単に成就するのもテレビドラマ的で安直。スポーツ好きにはサッカーの技術描写の乏しさも寂しい。
今はなき銀座シネパトスでの上映が似合うB級アウトロー刑事もの。ところが主役は女性、ウィレム・デフォー風に老けメイクしたN・キッドマンがアル中の女刑事役で驚愕のヨゴレ演技。70年代ハードボイルドの無頼な雰囲気が濃く、ジェンダーレス時代を象徴する警察映画としてジャンルのファンは観る価値が充分ある。ただ、私の好みではあと20分カットし100分弱で終了が望ましかった。終盤、流れがダラダラしてイーストウッドの映画みたいに説教くさくなり★ひとつ減らした。
激しい映画でとても良い。冒頭、テクノトロニックの曲が流れた瞬間にエッ!? と引き込まれた。懐かしさではなく、1990年のアルジェリアにディスコがあり、おやじギャルみたいな女性たちが集まっていたとは想像もしなかったからだ。イスラム社会の男性優位に反発し小さな夢をかなえるような生易しい話ではなく、激動する政治体制の下、世俗系女子大生が原理主義武装集団に命がけで抵抗する。意外性を連続させ知られざる歴史を強烈に伝えようとする監督の意欲と構成力に驚く。
実話を基にした中に異様な展開をみせる作品がある。それは事実だからしょうがないという確固たる柱があるから受容できるが、本作は恐らく創作の部分がありきたりで甘いので、主となる物語の論理性のなさがただの破綻や落ち着きの悪さに見える。障害者の日常描写のリアリズムと、彼らの私生活の充実にまつわる夢想が交じり合いつつ、現実と理想が互いを殺し合ってノイズにしてしまう作劇や演出が気になる。ロマンスの始まりがとって付けたようでもうひとつ考慮がほしい。
確かに目立った人生を送った有名人かもしれないが、約2時間の映画として描くには魅力的な逸話が乏しい。セリフで世界観を埋めるとか、些末に独特な演出を施すなど引き延ばしにも方法があるだろうが、本作は心を摑むような個性がなく平凡に終わっている。イギリスで暮らすことになる元ナチス兵士を巡る葛藤は、もっと深く考察できるのでは。トラウマとなっている戦時中の出来事も確かにつらい過去なのだが、まどろっこしい匂わせ編集のせいで鮮烈さが消えて予測を超えない。
N・キッドマンが刑事役を演じてこなかったのは、美貌が無駄な意味を持ってしまうからだと、険のある顔立ちになった特殊メイクで気づく。色気が必要とされない演技の切迫感に引き込まれ、主人公の幼少時にまつわる駆け足な説明も許せる。のの字を描くような巧みなストーリー展開と、細緻な編集でちりばめられた重要なショットの回収を、観客に委ねたミステリー構造にも虚を突かれた。撮影の苦いような侘しい陽光の効果も大きい。ニューシネマの再来といった感触だ。
夜遊びで潑剌とする娘たちと、ヒジャブを強要するイスラム原理主義が共存する世界は実のところ、日本をはじめ世界的に女性を取り囲む問題だ。痴漢に遭わないよう夜道は歩くな、男性を刺激する服を着たら自己責任といわれる先にヒジャブがある。女性監督らしく生き生きとした女たちの遊びの時間と、それゆえに耐えがたいであろう性差別に基づく圧迫が喉元に迫る。女にも内在するミソジニーの恐ろしさや、絵空事ではないから簡単には貫徹できない主張の演出も生々しい。