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ドン・シーゲル「白い肌の異常な夜」の女性キャラクター視点によるリメイクという冒険的な試みの前作から一転して、今回は久々にソフィアの自伝要素が強い現代劇で、少々置きにいった感が。近い時期、近い題材の傑作「マリッジ・ストーリー」と比べるのは酷か。ウディ・アレン作品を参照したアプローチのせいもあって、スクリーンで見るコロナ以前のニューヨークの街並みが、もはや現代都市というよりもローマやパリのような古都の風情で、勝手に感慨深い気持ちになってしまった。
おそらく配給のSPACE SHOWER FILMSに英国北部ユースカルチャーの好事家がいるのだろう。70年代前半のクラブカルチャーを描いた昨年公開の「ノーザン・ソウル」に続いて掘り出された本作は、70年代後半のフーリガンライフを描いた一篇。08年製作と微妙に古い作品ではあるが、ノスタルジーに溺れることなく、ちゃんと一度突き放した上で、基本的にロクでもないフーリガンの集団心理と、ポストパンクに共振する少年たちの鬱屈を描いている。作劇面では、音楽の力に頼りすぎだが。
今なお絶大な影響力を誇りながら、活動期間は1967年から76年と実は10年にも満たないザ・バンド。その片鱗をリアルタイムで実感したのは、ロビー・ロバートソンのソロ作が初めてだったような自分の世代としては、作られただけでもありがたい作品。あくまでもロバートソンの視点から語られる構成なので、少々フェアさに欠けるところもあるだろうが。「ザ・バンドのすごいところは、天才的なシンガーが同じバンドに3人もいたこと」というスプリングスティーンの発言は目から鱗。
マ・ドンソクは自分も好きな役者だが、18年は5本、19年は4本、基本すべてが主演もしくは準主演作であることを考えると、いくらなんでも出すぎか。さすがに「これはどうなの?」という作品も日本公開されるようになってきた。「サバハ」での好演が印象に残るパク・ジョンミン演じるボンクラな不良少年が中心のドタバタコメディの本作だが、脚本や編集までドタバタしていて、途中から物語の因果がどうでもよくなる上に、最終的に「いい話」にしようとしているところが痛々しい。
冒頭で回想される、結婚式の余韻に浸るローラ(ラシダ・ジョーンズ)と夫のごきげんなひとときから、ソフィア・コッポラ監督ならではの贅沢なプリンセス・ワールドが堪能できる。誕生日の夜、21クラブで、パパとチョコサンデーをなかよく食べるシーンなど甘すぎるのに、なんとなく引かれてしまうのは、ビル・マーレイ(好演!)扮するパパ・フェリクスのダメ中年ぶりが、オシャレと同じくらい微に入り細を穿っているからだろう。腕時計のエピソードに、ソフィア流のほろ苦さが光る。
なつかしい作風だと感じていたら(ゴッドン役のスティーヴン・グレアムが若くて、驚いた)、11年前のイギリス映画だった。エンドロール曲〈Insight〉のJoy Divisionはじめ劇中で流れる音楽が、シーンに奥行きをもたらす。出会って間もないエルヴィスとカーティが海辺で話すシーンの〈Just for a Moment〉(Ultravox)が印象的。少年たちの閉塞感とは対照的な「空は広い」というみずみずしい台詞と呼応している。主人公カーティを演じたニッキー・ベルは岡田健史に似た色気あり。
副題の「かつて僕らは兄弟だった」という過去形の重みに、胸が痛んだ。ザ・バンドのなつかしいメロディに乗せて「いまは、もう兄弟じゃない」と歌われると、人生に“再び”はないのだという当たり前のことが、わがことのように感じられてセンチメンタルな気分に。スコセッシ監督のドキュメンタリー「ラスト・ワルツ」でも有名な解散コンサートでリヴォンが歌う〈オールド・ディキシー・ダウン〉から、エンドロールの〈オフェリア〉への運びにロビーの愛を感じて、グッときた。
マ・ドンソクが、今回演じるのは、港町・群山のチャンプン飯店で、料理とケンカの腕を振るう、おかっぱ頭がトレードマークの謎のシェフ・コソクだ(TWICEファンで猫となかよし、という設定も絶妙!)。コソクたちと出会い、世界を学んでいく家出少年・テギル(パク・ジョンミン)の成長物語で、殴られてばかりのテギルを、ジョンミンが軽妙に体現して、マブリーと好タッグを組んでいる。独特のリズムの編集が、登場人物それぞれに一理ある、含蓄のあるドラマを味わい深く見せる。
生まれながらのセレブリティ、ソフィア・コッポラの監督作の多くは“選ばれた人”の日常の些細な、しかし本人にとっては重大な問題を題材にしているが、本作は、より彼女自身を投影した既婚女性の苦悩、夫と子供、そして父親、その重なり揺れる「家族愛」をめぐる物語(NYの上流階級の人々を軽妙なタッチで描くのでウディ・アレン作品とも地続きの世界観だ)。ビル・マーレイの唯一無二の寂しげ&可愛げは健在で、何気ないシーンを特別な瞬間に変えるそのマジックも堪能した。
79年マージーサイド、フーリガンのオシャレ版(?)〈カジュアルズ〉の世界を舞台にした青春譚だが、どの時代、どの地域でも、地元の“族”は、多くの孤独な男子が初めて関わる家族以上に深い関係のコミュニティで、大半は共有する暴力だけで繋がっている。本作は、それに違和感を抱くメンバーのエルヴィスと族への憧れを持つカーティス、音楽で繋がった二人を軸に、暴力と性にまみれたホモソーシャルな愛憎関係を描いている。そのディテールが生み出す痛み、焦燥感は本物だった。
「ザ・バンド」をリーダーのロビーとその他4人という構造で描くドキュメンタリーだが、「ラスト・ワルツ」を監督したスコセッシが製作(と出演)で関わっているからか、固い絆で結ばれた男たちの栄光と終焉の物語としても捉えられる。監督は弱冠24歳、スピード感ある編集で、ディラン、クラプトン、ハリスンら超大物の証言を交え自分が生まれる遥か昔の「歴史」を立体化すると同時に“同年代”の視点で「若者の青春」を等身大に綴っていく。ただ、良くも悪くも美しすぎた感はある。
目を開けて眠るドンソク、張り手をするドンソク、TWICEを踊りながら歌うドンソク……。顔面力もハンパないマブリー(マ・ドンソク+ラブリー)の魅力を強制的に味わえる決定版。取り巻くキャラクターたちとの相性が良く、バランスも取れているので、これだけ推していながらドンソクだけが浮くということがない。前半ギャグ、後半シリアスというお馴染みの構成だが、登場人物全員が変化の願望を持っている設定が軸となり、それぞれの「青春」との対峙が全篇ブレずに描かれる。