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十字架を背に古風な制服を纏った少女たちが、声を揃えて語るシーンが、物語の幕開けとしてインパクトがあると考えたのかもしれないが、それが逆に、手垢にまみれた「心の闇」という観念で拵えあげた積み木細工という印象を招く。そんなものを取っ払って、フラットに進めたほうが、少女たちの暗さをリアルに浮かび上がらせたのではないかね。後半、病気の子どもたちが登場するあたりから、画面も連鎖的に動き出すのだから、端から、そのような作り方をすればよかったのに、と思う。
一見、平凡な家庭に異物が入ってきたことで、それまで抑え込まれていた家族の裸形が露呈していくという構図は、深田自身の「歓待」以前に、「テオレマ」のような見事な例があるが、本作の見所は、そのような関係図を生きる俳優の演技にあるだろう。とりわけ、妻の章江役の筒井真理子に。存在において異人ぶりを発揮する浅野忠信と、演技を殺す技でみせる古舘寬治の二人を相手に、彼女は、妻=女としての微妙な変化から、決定的な変化に到る振幅を見事に表現している。
次々と電話をかけるヒロイン。かける彼女と受けた相手が交互に画面に現れる。その間に、徐々にヒロインの過去が挿入される。だから、3人目ぐらいで、もう、その先の展開が読めてしまう。あとは、結末をどうつけるのか、その興味だけになってしまうのが、なんとも勿体ない(!?)。途中で、車に乗った親切な医大生のカップルと出会うから、彼らが、最後にきっと関わってくるはず、と思うとその通りで……イヤ、ここまで律儀に予想通りの展開を見せてくれた映画の悪口など言えません。
これは、そのまま舞台にのせられる。というより、舞台でやったほうが生きるはずだ。ま、舞台だと、セリフが必要になるところを、映画では、俳優の表情の変化で見せることができる、というのが作り手にとっては魅力なのだろう。が、それが映画として見る者にとっての魅力にはならない。だいたい、いつも何か言いたげに人を見ながらスマホを弄っている男の顔を長々と見せられても、面白くも可笑しくもない。これが、原作者の見るいまの若者のリアルだとすると、ご愁傷様とでも言うしかない。
ゴシックホラー風予告篇からは想像もできないが、私の偏愛するジャンル、夏休み青春映画の逸品である。女子高の単位取得科目(ボランティア)に施設での介護活動を選んだ二人の少女。一人は作家志願。仲たがいしてしまった彼女達それぞれが夏を終えると、一つ大人になり、また誤解も解ける。バラバラな素材が最後には緊密に全てつながり合う感じ、これは原作由来なのだろう。何もそこまで、という気もするが仕方がない。小説執筆も中二病みたいなもんだが誰にもそういう時代はある。
これまでの監督の作風から「テオレマ」的な物語を予想したのだが違っており、もっと怖い。この怖さは訪問者の存在が形而上的な謎ではなく、むしろ身に覚えのある訪問だったせいだ。夫が彼を歓待したのは寛大さからではなく、実は卑屈さ故であり、その感じを出すのに訪問者浅野と古い友人古舘というコンビはうってつけ。とはいえ浅野の役柄の振れ幅の大きさはそれ自体謎。よくよく考えると彼は何を思い一家を訪ねたのか結局分からないまま時間がぽーんと飛ぶ。この展開も素晴らしい。
良い話である。構成もしっかりしているし。でも見終わると映画じゃなくてもいいんじゃないか、と思ってしまうのが難。ただし星が伸びなかったのはそのせいではなく、どう考えても長いからだ。このネタならば一時間で語るべきだろう。またオチもありそうな類のものである。もう一つ何か仕掛けが欲しかったというのはあるが、展開自体はきびきびして飽きさせない。交通事故シーンの念入りさはさすが室賀厚、などと書いてもあまり褒めたことにはならないだろうヒューマンドラマだった。
就活大学生群像と見せかけつつ実は、演劇を諦めた台本作家健と彼の元の相棒(演出家で活動続行中)の葛藤がキー。相棒は顔も現れないがそれにより逆に、彼が健のオルターエゴであることを明示する。もう一つのキーはSNS。そこでの相棒の華々しい自己顕示に反発する健の発信する執拗なメールが「嫌~な」クライマックスの伏線となる。でもこの感じが実にいい! さらに監督の専門領域である舞台の趣向が映画に侵入する構成がトリッキーで物語よりもこのハイブリッド感覚が新機軸。
これほど信じ難い行動の数々を偶然と因縁で片付ける映画も珍しい。教師に盗まれた本田の書いた小説が新人賞を受賞するが、手書きでもコピーや第三者が読んでいる可能性があるだろうに教師の悪びれない振る舞いが分からない。痴漢冤罪で全てを失って他人を寄せ付けない稲垣のアパートへ夜、無理矢理押しかけて部屋に居座る山本の無神経ぶりも酷い。同じ月永雄太撮影でも「零~ゼロ~」の様なゴシックな雰囲気で学校を観たかったが。本田の悪い種子ぶりが実年齢差はともかく悪くない。
平凡な家庭に侵入した異物が夫婦の内面を露わにする。古舘と筒井の夫婦が素晴らしいが、円熟を増した浅野が闖入することで時として演劇的な言語が占める空間を、映画言語でかき乱してくれる。印象的な背中越しの移動ショット、オルガン、歌、浅野の寝る時まで同じ端正な服装など、終始画面に緊張と異物感を漂わす演出に瞠目。筒井が主演女優賞級の演技。8年後の後半は破れ目が用意され、口当たり良く終わらせまいとする足掻きが魅力となるが食い足りなさも残る。あと1時間あれば。
××前の十人への電話という設定は小品によく合う。主人公の一挙手一投足から思い出が甦る作りだけに展開が遅いが、潤沢には見えない製作条件を演出のサボりの言い訳にはせず、飽きさせない作りになっているので好感を持って観ていられる。室賀の「ザ・ワイルドビート」「SCORE」世代としては「デス・プルーフ」前半の有名シーンを何の捻りもなくパクる室賀イズムに呆れつつも拍手喝采。初期作から付き合ってきた菅田俊の顔出しといい、室賀作品の痕跡はしかと刻まれている。
演劇畑の監督だけあってリハーサルを重ねて若手俳優たちを磨き上げたのがうかがえる。静かに嫉妬する佐藤とベッキー風の雰囲気を放つ二階堂が出色。しかし台詞と演技へ比重がかかりすぎ、描写は薄まっている。SNSあるあるには笑うが細部の面白さに留まる。軽い言葉を浮遊させるツイッターの書き込みを深刻めいて表示した上に声も重ねるのは大げさ。表アカ、裏アカ、LINEを駆使して、同じタイムライン上で感情の表裏を同時に伝える映画ならではの文字表現も可能だったのでは。