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ちょっとしたドラマ付きの環境映像並の作品だ。観ていて邪魔にはならないが、残るものもない。やたらに細部やモノにこだわり、それがその人の人間性でもあるように描いているが、ウスターソースをウースターと言ったからって、ただのクセ、それをいちいち特別であるかのように演出するタナダ節にこっちが飽きたか。そういう意味では出演者たちが喜ぶ映画かも。じっくり、ゆったり、そしてどこかトボケた演技がほとんどで、さしずめスローライフ芝居ごっこ。上野樹里は食べてばかり。
なんとまァ、薄っぺらで安・近・短な人間〝ころがし〟コメディだろう。そもそもテレビ人間やワイドショーをおちょくること自体が今更って感じがするし、いや、それでもテレビを題材にするのなら、先般公開のアメリカ映画「ニュースの真相」「マネーモンスター」とは言わないまでも、スタジオ人種の罪と罰ぐらいはチラつかせて欲しかった。が自己チューの人物たちが、ただ時間に流されているだけで、落ち目キャスター中井貴一の演技もクドすぎる。途中でチャンネルを替えたくなる映画!!
人間のある種のずるさやエコイズムを描いて西川美和監督が突出した作家であることは周知の事実。が、今回は、是枝裕和監督「そして父になる」の西川監督版の印象も。2組の夫婦の事故死した妻たちのことは別にして、本木雅弘のキャラクターは「そして父に…」の福山雅治に近いし、竹原ピストルの役はリリー・フランキーに似ている。つまりインテリと庶民にキャラ分けされ、その間を子どもがつなぎ……。本木も竹原の演技も申し分ないし、子役2人もみごとだが、既視感は否めない。
急げ、走れ、逃げろ! 急げ、走れ、逃げろ! でも結局、主人公たちは、かつて人間だった吸血鬼と闘う羽目になり、が、一難去ってまだ一難、急げ、走れ、逃げろ! で、フト思った。彼岸島を現代の日本に置き換え、ウイルスを持つ吸血鬼やモンスターを原……、おっと、考えすぎか。ともあれ、この呪われた島で人間が生き延びるには、走って逃げるしかなさそうなのが不気味で、それができないある集団のエピソードが苦い。どこか愛嬌があるモンスターの造型たちが面白い。
観始めたとき、イヤなものを見せられるのではと身構えたが、そんなことはなかった。三十過ぎのヒロインがそれなりに成熟していて(そうでない面もあるが)二十歳年上彼氏にも七十代父親にも依存も萎縮もしてなくて。上野樹里素敵。いまの邦画におけるリリー・フランキーのウザくない助言者ナンバーワンとしての無敵さも再確認。そこにダスティン・ホフマンばりの作り込んだキャラをぶっこんでくる藤竜也。映像にも力がある。生活に関する発見や提案を孕む映画となってもいる。良い。
面白かった。監督君塚良一には以前から悪い印象ない。まっとうに映画をつくろうとしている。本作は「俺たちニュースキャスター」風のコメディーかと思いきや「スクープ 悪意の不在」「破線のマリス」の問題系を継承する。「バイオレント・サタデー」「スピード」にあった映像による犯人へのブラフの応用もある。監督の過去作「誰も守ってくれない」と同様のネタも扱いつつそれを衆愚と切り捨てまいとする頑張りがある。仕掛けも結びも良いと思う。広く観られてほしい。
これは、実は主人公の作家が、反省つうか変化できず、映画の始まりに直面した自己の偽装を、映画の終わりまでに一層強固にし、その厭らしさを?みしめ味わいながらもそうするしかない話であって、それは安直ないいお話をつくっていなくて良かった。だって妻が死んで、夫が泣こうが泣くまいがどうでもよく、本気でそこだけにこだわるのはくだらないことだもの。そこはわかっている作品。あと、子役、子どもの登場人物の存在感と破壊力はすごい。彼らこそ主役のようにも感じられた。
ソードアクション、ワイヤーアクション、VFXはすごいかもだけど、こりゃおかしくないか。ちゃんと始まらないし終わりもしない。見せ場のようなものが全体に撒き散らされてとっちらかったまま。原作漫画はもちろん、ワーナー・ブラザースによる2010年の映画化にも負けているのではないか。えーと、良いところを探すならば、良いところを探すならば……、あ、『ウルトラファイト』っぽい、ということか。それと、〝地獄にいちばん近い島〟というコピーはちょっと面白かった。
タナダユキ監督は本来描くべき部分、例えば上野樹里とリリー・フランキーが同棲に到る過程の詳細をすっ飛ばし、あえて〝お父さんと伊藤さん〟の関係性を物語の中心に据えている。また、①父と伊藤さん、②父の失踪、③父帰る、という展開が3幕を構成し、父親の行動が物語を牽引していることも窺える。主人公の澄まし顔は30代女性の諦観を表しているようにも見えるが、結果的に〝燃ゆる木と燃ゆる家屋〟が家族を新たな世界へと導く様相は、まるで「サクリファイス」(86)のよう。
個人的な経験からも言えることだが、テレビの生放送の現場はまさに〝戦場〟。視聴率のためにどこまでやるべきなのか? という是非はさておき、本作ではこの〝戦場〟の様子を撮影や編集によって演出してみせている。例えば、〈手持ち〉+〈長回し〉で現場の臨場感を伝えつつ、〈手持ち〉+〈短いカット〉で現場のスピード感を表現していることが窺える。その緩急は、時に登場人物の人間関係の均衡をも表現して見せているのだが、願わくば全篇リアルタイム進行でも良かったように思う。
人は目の前から突然いなくなることがある。その喪失感だけでなく、そのことをどこか絵空事、或いは、非現実的なことでしか受け入れられない、という真理のようなものが本作にはある。日常生活の中で、他人を受け入れることも、誰かの死を受け入れることも、同じような〝時間〟の経過が必要であると描きながら、実のところ「本人次第である」とも描いている。〝人それぞれである〟ことを暗喩させるように、車中のラジオで流れている番組が『東京ポッド許可局』の鼎談である点も一興。
刀一本で吸血鬼を斬って斬って斬りまくる本作は、本来であれば時代劇のジャンルとしても成立するのだが、現代のバンパイア物(ゾンビ物のようでもある)の文脈で語れるという側面がある。『仮面の忍者 赤影』の第3部・第4部に登場した怪獣の如き巨大な〈鬼〉は、その代表格。また孤島を舞台にすることで、〝生き残り〟というゲーム的要素も加わり、さらに〝カインとアベル〟的な兄弟同士の確執も盛り込むなど、そのてんこ盛りっぷりが「デラックス」のタイトルに適っている。