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日蓮

  • にちれん
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  • 平均評点

    52.4点(26人)

  • 観たひと

    45

  • 観たいひと

    10

  • レビューの数

    9

基本情報

ジャンル 伝記 / 時代劇
製作国 日本
製作年 1979
公開年月日 1979/3/10
上映時間 143分
製作会社 永田雅一プロダクション
配給 松竹
レイティング
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
カラー/サイズ カラー/ビスタ
メディアタイプ
音声
上映フォーマット

スタッフ

監督中村登 
脚本中村登 
原作川口松太郎 
企画宮本丈靖 
製作永田雅一 
制作補脇田雅丈 
長谷川小夜子 
小坂一雄 
沼尾鈞 
撮影竹村博 
美術芳野尹孝 
横山豊 
美床鵜飼威志 
音楽芥川也寸志 
録音田中俊夫 
松本隆司 
照明飯島博 
編集池田禅 
製作進行中沢宣明 
助監督伊藤聚 
特殊撮影東宝映像 
スチール金田正 
殺陣松尾玖治 
風俗考証柳生悦子 
協力松竹映像 

キャスト

出演萬屋錦之介 日蓮
伊藤洋一 善日丸
田村高廣 貫名重忠
岸田今日子 貫名重忠の妻・梅菊
中村嘉葎雄 日昭
中村光輝 日朗
永島敏行 日興
観世栄夫 比企能本
田中邦衛 行道
山崎之也 日進
菅啓次 能登坊
江原真二郎 工藤吉隆
松坂慶子 工藤吉隆の妻・浜夕
丹波哲郎 富木常忍
野際陽子 富木常忍・妻
伊吹吾郎 四條金吾
鳥巣哲生 進士太郎
御木本伸介 南部実長
西村晃 阿仏房
赤木春恵 千日尼
大沢萬之介 北浦忠吾
田原千之右 北浦忠吾の弟・忠内
和崎俊哉 神四郎国重
加藤武 彌三郎
松下砂稚子 彌三郎の妻・とき
池上季実子 彌三郎の娘・なみ
大滝秀治 道善
橋本宣三 義浄
折尾哲郎 浄顕
嵐寛寿郎 聖覚上人
成瀬昌彦 南勝房俊範
穂積隆信 天王寺屋浄本
中川梨絵 天王寺屋浄本の妹・阿佐
梅津栄 極楽寺良観
小林昭二 建長寺道隆
市川染五郎 北條時頼
松方弘樹 北條時宗
香川良介 北條政村
中谷一郎 平左衛門頼綱
佐野浅夫 宿屋光則
山本麟一 依智直重
二戸義則 南條七郎
大東梁佶 那須左源太
小池朝雄 東條景信

解説

古代王朝から新興武士へと政権が移りつつあった承久四年(一二二二年)に生まれた日蓮の、言語を絶する迫害をはねのけての布教活動の生涯を描く。原作は川口松太郎、脚本監督は、「遺書 白い少女」の中村登、撮影は「俺は田舎のプレスリー」の竹村博がそれぞれ担当している。

あらすじ

日蓮は承久四年、安房小湊こ生まれた。幼名は善日丸、父貫名重忠は遠州の領主だったが領地争いに敗れ、妻梅菊と共に安房に流された。流民の子と迫害される善日丸をやさしくいたわる地主の娘浜夕も鎌倉武士に嫁ぐため小湊を去る。孤独な善日丸は天台の名刹清澄寺に入り修業すること四年、剃髪して是聖坊蓮長と名乗り、その後、鎌倉寿福寺で禅の修業をする。しかし、禅や念仏では民衆の窮状を救えないとの疑問を抱いた蓮長は比叡山へ向かう。比叡山での厳しい修業、奈良、京都の寺々を廻り、求道十年、ついに蓮長は法華経こそ釈迦の説いた本当の教え、最高至上の仏教との確信を得て、その布教に生涯を捧げる決心をし、故郷の安房へ帰った。ある早朝、清澄山の山頂に立った蓮長は、自ら日蓮と名を改め、東海から昇り始めた太陽に向かって「われ日本の柱とならん、眼目とならん、大船とならん」と叫んだ。鎌倉に戻った日蓮は「極楽浄土は、この世にある。法華経を信ぜよ」と辻説法を説いていると、奇しくも幼馴染の浜夕と再会する。日蓮の努力は徐々に実を結び、浜夕と夫の工藤義隆の入信、また日昭、日朗、比企熊本、四条金吾等の弟子も出来、信者も増えはじめた。その頃、鎌倉では飢饉、疫病、地震等の災害が相次いで起り、民衆の窮乏はその極に達し、この惨状を憂う日蓮は「立正安国論」を書いて北條時頼に提出し、政治を正して民衆を救えと要求するが、逆に時頼に伊豆に流されてしまう。二年後、赦面された日蓮の布教活動は増々活発となり、その行動を危険視した平頼綱は日蓮を斬首しようと謀るが、謀略を知った執権北條時宗は赦免使を立てて日蓮を救おうとする。断罪直前、大竜巻が起り幕府方は人馬もろとも宙に舞い日蓮は奇跡的に難を逃れたが、佐渡に流されてしまう。しかし、佐渡での言語を絶する寒さと飢えの中を、阿仏房夫妻の情で生きぬいた日蓮は、そこで「開目鈔」「観心本尊抄」等の代表作を完成する。やがて「立正安国論」で驚告した日蓮の予言が的中し、蒙古軍が日本に迫って来た。北條時宗は日蓮を赦免し、敵国降伏の祈祷の協力を要請するが、日蓮は幕府が法華経を主経と認めることを条件として、禅の信者の時宗と対立する。絶望して身延山に入った日蓮に、さらに、弟子、信者が拷問虚殺されるという悲報がもたらされる。弘安四年、闘いと迫害の生涯を生き続けた日蓮もすでに六十歳、ついに花の咲く日を見ることが出来ぬと悟り、如何なる困難に遭遇しようとも法灯を守りつづけてくれるように弟子たちに切々と頼む。翌弘安五年秋、風雲児日蓮はその多難な生涯を閉じた。

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