東京市京橋区(現・東京都中央区)の生まれ。旧制麻生中学(現・麻生高校)時代の友人に俳優の小沢昭一、フランキー堺ら。早稲田大学文学部の同期に今村昌平監督と俳優の北村和夫がいた。大学卒業後、中学教師を経て、1952年に文学座へ入団。『還魂記』『美しきものの伝説』など多数の舞台で活躍する。映画へは、川島雄三監督「愛のお荷物」55でのナレーションを皮切りに、今村、川島、黒澤明、浦山桐郎などの監督作で個性的な演技を次々と披露する。70年代は、深作欣二監督「仁義なき戦い」シリーズにおける優柔不断なやくざ・打本役や、市川崑監督「金田一耕助シリーズ」の的外れな推理をする等々力警部(あるいは立花署長)役で注目された。後者の「悪魔の手毬唄」「獄門島」77の演技で報知映画賞助演男優賞を受賞。その後も「幸福」81、「竹取物語」87、「どら平太」00など市川作品に多数出演。ほか、山田洋次、深作欣二、小栗康平、森田芳光などベテラン・新鋭問わずさまざまな作家に起用され、長年に渡って名バイプレーヤーとして日本映画界を支え続ける。90年代からは松竹の「釣りバカ日誌」シリーズに鈴木建設の秋山専務役でレギュラー出演。テレビドラマも60年代から多数出演し、海外ドラマやアニメの吹き替えも評判となった。ホームグラウンドの舞台では、文学座の重鎮として活躍を続けていた。2015年7月31日夜、東京都内の病院で死去した。