【「タクシードライバー」で都会の孤独・暴力を体現】アメリカ、ニューヨーク市クイーンズ区出身のイタリア系アメリカ人。子供の頃に喘息にかかり、激しい運動を禁じられ、家の中で映画を見続けて映画マニアの少年に育つ。カトリックの司祭を目指すが断念し、ニューヨーク大学の映画学科に進学。卒業後は同校の講師をしながらCFやニュース・フィルムの編集業に携わる。1967年、初長編映画「ドアをノックするのは誰?」でロジャー・コーマンに注目され、コーマン製作でギャング映画「明日に処刑を…」(72)を監督。翌73年、自身の育ったリトル・イタリーを舞台にした「ミーン・ストリート」、74年には女性映画「アリスの恋」を発表。この作品でエレン・バースティンにアカデミー主演女優賞をもたらす。76年、脚本家ポール・シュレイダーが持ち込んだシナリオをブライアン・デ・パルマ経由で推薦され、親友ロバート・デ・ニーロ主演で撮り上げた「タクシードライバー」が、映画会社コロムビアの予想を覆す大ヒットに。劣等感と孤独、そこから生まれる暴力を描いたこの映画は若者層から熱狂的な支持を受け、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。これに影響された若者が81年、レーガン大統領暗殺未遂事件を起こし、映画が犯罪を誘発するか否かで社会的な論議を引き起こした。以降、デ・ニーロとのコンビで、「レイジング・ブル」(80)、「グッドフェローズ」(90)など、多数の傑作・秀作を発表する。自身の出自に根ざした移民・マフィア社会をリアリティある視線で捉え、特にさまざまな形で表現される暴力というモチーフに強いこだわりを見せる。【候補6度目にしてオスカー獲得】2002年の「ギャング・オブ・ニューヨーク」からはレオナルド・ディカプリオとの作品が続き、コンビ3 作目の「ディパーテッド」(06) で、アカデミー賞監督賞をノミネート6度目にして初受賞。名実ともに現代アメリカ映画の巨匠となる。音楽への造詣も深く、駆け出し時代に「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」(70)の助監督と編集を手がけ、「ラスト・ワルツ」(78)、「ボブ・ディランノー・ディレクション・ホーム」(05)、「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」(08)、ブルース生誕100年を記念しての〈ブルース・ムービー・プロジェクト〉など、音楽ドキュメンタリーも多く発表している。