山田タケは明治の末年北海道で生まれ、青森県細柳で成人した。リンゴ園の渡り職人と結婚し、次々と子供を生んだが、妻子を顧みない夫のために喰いつめ、一家は北海道網走に渡った。貧苦の中で八人の子供を生み、離婚して再び細柳に帰って来た。タケは魚の行商をして子供たちを育て、やがて成長した子供たちは都会へと巣立っていった。七人目の道夫も四年前希望に胸をふくらませ、集団就職で上京したが、大都会の孤独に耐えきれず、勤め先のフルーツパーラーをやめた。それからの道夫は、勤め口を転々として、脱落の一途をたどった。彼には最早いくべきところがなかった。道夫を支えるものは、かつて横須賀米軍基地から盗んだ、ずっしりと手応えのある拳銃だけだった。夜更けの都会をさまよう道夫は、華やかな明るさにひかれるようにホテルの庭に忍びこんだが、不意にガードマンに襟首をとらえられ、無我夢中で引き金を引いた。殺人は想像を絶する簡単さでなされてしまった。道夫は京都に逃れたが、衝動的に八坂神社のガードマンを射殺し、北海道に渡った。道夫は生まれ故郷で自殺を企てたが果せず、帰りの旅費欲しさに函館のタクシー運転手を殺した。そして数日後、名古屋に現われての第四の殺人。今度も犠牲者はタクシーの運転手だった。金を求めて、深夜のオフィスに忍びこみガードマンに発見されたが、発砲して一旦は逃れたものの、明け方歩行中をパトカーの警官に訊問され、ほとんど無抵抗で逮捕された。