明治十九年浅春。文明開化の洋風温泉旅館箱根山泉楼の開館記念祝賀会に招待された常連客達が描く五日間の挿話である。大阪商人北原虎吉を迎えて菅沼仁太郎と波川三右衛門の二人は、たまたま山泉楼に来場している江本逓信大臣に、水戸宇都宮間の鉄道敷設案を申請して一儲けしようと企んでいた。この話をどこでかぎつけたのか、成上り者の越後屋喜助も小倉謙造を抱き込んで出し抜こうと虎視眈々としていた。越後屋喜助の妻、おくまと、東京商人山崎勝五郎の妻、里野とは犬猿の仲である。その原因というのはお互いの娘、綾子、妙子を大久保男爵に娶らせようとするつまらぬ見栄と意地の競争である。里野はおくまを成上り者と軽蔑すると、おくまは里野を芸妓上がりと軽蔑するのである。菅沼波川は江本の秘書池田を買収して、いよいよ江本閣下に鉄道敷設案の申請をした。江本はその案が産業促進のためであるなら大蔵省も同意であり、政府補助金も出るがわしを嫌っている水戸の御当主が反対すれば挫折するであろう。と言ったあと「水戸の御当主を口説ける人は水戸十五代君の弟にあたる平喜一郎殿であるが、御維新の際、官軍に敵対した罪により預かりの身になっていたが、特旨御放免と同時に行方をくらましている。この人さへ探せば解決する」と探索方を逆に依頼した。江本は折からの電報によりこの旅館を去った。入れ違いに、この旅館近辺に苦学書生らしい、みすぼらしき浮浪者が辿り着いた。親切な女中おみつは、彼を救い、宴会料理の残り物を彼に与え慰めた。今夜も又、おくまと里野は喧嘩をしていた。大阪成上りの根性をふかせる越後屋夫婦は北原達二人組はもちろん、山勝も、主人も、番頭も女中おみつに至るまで評判は悪い。傲慢無礼な越後屋夫婦を懲らしめてやろうと、北原達三人組は、おみつが連れて来た得体の知れない書生を、問題の平喜一郎に仕立ててこちらで擁し、身分気位に躍起となっている、越後屋をしてあやまらせ、いい所を見計らい、実は偽物だったとばらし、彼を嗤い者にして思う存分嘲笑してやろうと衆議は一決した。おみつは早速書生に、余興役者の衣裳を着せて連れて来た。それからというものはこの旅館内は大騒ぎである。まんまと奸策に乗った越後屋夫婦と山勝夫婦とは競ってまで、偽者平喜一郎の嫁として自分の娘を仕立ててのせり合いである。得体の知れない書生も、さるもので、立派な濶腹で、中久保、小倉達上流社会人と交際を続け尻尾を出さなかった。おみつは、書生と越後屋の妙子が、いつも一緒にいるのが妬けて仕方がなかった。が、おみつにとってそれ以上に心配なことは官憲の綱を潜ってこの街に来た噂の政治犯の書生が彼ではないかということであった。おくまと里野のせり合いは、平喜一郎の出現に至って今や絶頂である。越後屋は娘を嫁して地位を得る以外に、水戸鉄道敷設には、平喜一郎はなくてはならない人物なので、その対応ぶりは物凄き丁重ぶりである。そしてもう自己の掌中に収めたと信じた越後屋は、東京の江本大臣に打電してしまった。江本は再びこの旅館に現れることになった。「嘘から出たまこと」困ったのは、北原、波川、菅沼である。今や風前の灯である。偽者、平喜一郎の運命は刻一刻と迫って来た。