世界一の本の街・神田古書店街。古書店の数はおよそ180。実はこの街の靖国通り沿いの一画は、第二次世界大戦中、空襲を受けなかった。それは、親日家のロシア人セルゲイ・エリセーエフがマッカーサーに対して、この一角の空爆を避けるよう進言したためだと作家・司馬遼太郎は自著『街道がゆく』の中に記している。それは真実なのか?追求して行くと、同じように文化財を戦禍から救った英雄として称えられるアメリカ人美術家ラングドン・ウォーナーに行き着く。彼は太平洋戦争当時、空爆すべきでない地名のリスト『ウォーナー・リスト』を作成し、米政府に進言。京都や奈良を始め、多くの日本文化を救ったとされている。しかし、京都が救われたのは、原爆投下第一号の候補地だったためだという資料が浮かび上がる。原爆投下の委員長であったヘンリー・スティムソンが頑なに反対したというのである。果たしてそれは本当なのか?そしてまた、ウォーナーは、朝河貫一と一緒に太平洋戦争回避のため、ルーズベルトと天皇をも動かしたという。しかし、その努力は実らず、日本は戦争に突入。戦争回避の舞台裏。米国に残る新資料と証言によって今まで語られることのなかった事実を伝える。さらに『ウォーナー・リスト』によって救われたとされる国宝を始めとする数々の文化財。それらを見つめ“戦争と平和”を改めて問い直す。