ケンブリッジで学び外国生活が長い白洲次郎(浅野忠信)は、開戦前から日本の敗戦と食糧難を予見し、実業の第一線を退いて東京郊外に移住して農業を始める。1945年8月15日、白洲が終戦を知ったのは、畑仕事をしていた時だった。その頃吉田茂(小林薫)は大磯の邸宅で、「遂に来るものが来候」と手紙に書いていた。日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれ、8月30日には連合国最高司令官マッカーサーが厚木に降り立った。正装の昭和天皇(野間口徹)とラフな姿のマッカーサーが並んだ写真が新聞を飾り、人々は敗戦の事実に改めて衝撃を受けた。間接統治とはいえGHQの力は絶対的で、日本の民主化と非武装化を求めて占領政策に着手。マッカーサーは天皇に近い人物から民主的な憲法案を出させるべく、元首相で公爵の近衛文麿(松重豊)に憲法改正を勧めた。そんな中、外務大臣・吉田茂はGHQとの交渉役である終戦連絡事務局の仕事を白洲に任せようとする。吉田と白洲は24歳も年が離れているが馬が合い、遠慮なしの激論を交わすこともしばしばあった。やがて白洲は、日本の再出発のために吉田の力になることを決意。吉田の「占領はすぐに終わる。だが、その間の対応を日本が間違えると、一度負けたどころか、二度も三度も負けることになる」との言葉を胸に白洲は熾烈な交渉の最前線に身を置き、彼の堂々とした態度はGHQの度肝を抜いた。憲法改正に意欲的に取り組んでいた近衛だったが、近衛の戦犯指定が濃厚になり、GHQは憲法改正を託した事実を否定。近衛は巣鴨プリズンへ入る日の早朝、自殺する。一方、憲法問題は内閣の仕事であるとして、国務大臣・松本蒸治(柄本明)もまた憲法学者を集め憲法改正に着手していた。しかし水面下でGHQはソ連が参加する極東委員会に干渉されぬよう、極東委員会の発足前に憲法改正案を仕上げる必要に駆られ、自ら憲法草案を作成する極秘プロジェクトを開始。他国主導で憲法が作られるという非常事態に、白洲は外相公邸に寝泊まりしながらこの勝負に勝つ方策を見出そうと苦悩するが、それを見出せぬ現状に怒りを募らせる。そんな彼に吉田は、日本の独立という未来を見据えたある本音を明かす……。