【寡作ながら、独特のスタイルで世界の評価を集める個性派】長崎県生まれ。16歳の頃から自主映画を撮り始め、1981年、大阪芸術大学映像計画学科に入学。そこで斎藤久志らと出会い、本格的に8ミリ製作にのめり込む。高校時代の自分自身を主人公にした「ララ…1981~1983」(83)を3年がかりで製作。自分の気持ちの動きを描いたつもりだったが、友人たちにはそれが伝わらず、第三者が理解できるように表現することの難しさを痛感したという。その反省を踏まえた「ヒュルル…1985」(85)は、再び橋口自らが鬱屈を抱える主人公の大学生を演じた青春映画で、PFF 86に入選を果たした。大阪芸大中退後も上京して自主映画活動を続け、89年の「夕辺の秘密」でPFFアワード89のグランプリを獲得。テレビのADの仕事を経て、PFFスカラシップによる劇場長編デビュー作「二十歳の微熱」(93)を撮る。ゲイバーで働く大学生を中心とした4人の男女の人間模様をリアルに、かつ感性豊かに描いて注目を集めた。この頃、自身もゲイであることを公表し、第2作「渚のシンドバッド」(95)でも同性愛をテーマとした。同作は、ぴあと東宝が提携して若手作家の新作を製作する“YES!レーベル”の第1弾で、国内外で高い評価を受けた。続く「ハッシュ!」(02)は、子供が欲しい独身女性がゲイのカップルと知り合い、心の結びつきの中で新しい家族のかたちを目指していくハートフルな物語。世界50カ国以上で公開され、その才能をさらに世界にアピールした。しかし、橋口自身は本作のあとでうつ病を患い、長く休養に入る。完治後、その体験をもとにした「ぐるりのこと。」(08)を発表。うつ病の妻と彼女を支える法廷画家の夫を主人公に、長編作では初めてゲイがテーマではない作品となった。【より普遍的なテーマへと向かう】80年代後半から90年代にかけて、8ミリフィルムの衰退などもあって自主映画の世界が変貌していく只中に、PFFスカラシップ作品で劇場デビューを果たし、第2作もぴあの支援で製作機会を得た自主映画出身系の新世代作家。橋口以降、PFFのスカラシップ作品はそのまま正式な商業デビュー作になるという新しい時代を迎えた。ゲイであることを公言し、積極的に自身を投影した物語を展開させつつ、日本以上にゲイ・カルチャーが発展している海外で、まずアーティスティックな作家としての評価を受けた。100%自身の身の丈という自主映画から始まり、一作ごとに作品世界が広がった印象を与える。それは“個”の世界から普遍的なテーマへ進んできたことの現れでもあり、初めてゲイをテーマとせず“家庭”を描こうとした「ぐるりのこと。」で、より顕著になった。撮影前の準備として入念にリハーサルをする厳しい演出は、多くの役者の新境地を開かせてきたことでも知られる。映画界、芸能界とはなるべく出会わないようにしている製作のスタンスも独特で、寡作ながらもインディペンデントの世界においては、興行的にも批評的にも信頼感のある作家という地位を確立している。