【しなやかな眼差しで人生と青春を見つめる俊英】東京都生まれ。中学生の頃から学校帰りに名画座に寄り、テレビの演芸番組を楽しむ少年だった。黒沢清や大森一樹の8ミリ作品に触発され自主製作を始める。1979年、高校在学中の短編第1作「気分を変えて?」がPFFに入選。東京造形大学デザイン学科時代には池袋文芸坐の支援企画で自主作品を監督、同大卒業後に朝日プロモーション(現ADKアーツ)に入社する。CMやプロモーションビデオなどの企画・演出を手がけ、CMでの受賞歴は多数。この間も継続して自主製作を続ける。93年、山村浩二のアニメーションと実写を組み合わせた短編「金魚の一生」がキリン・コンテンポラリー・アワード最優秀作品賞を受賞。キリンビールの資金援助を得て95年、大阪を舞台に女性漫才コンビの関係を描く「二人が喋ってる。」を監督し、96年のサンダンス・フィルム・フェスティバルin東京でグランプリ、日本映画監督協会新人賞を獲得したのち、97年に劇場公開される。同作を高く評価した市川準に乞われ、「大阪物語」(99)の脚本を執筆。以後の脚本参加作も多数ある。2000年、池脇千鶴の主演で大島弓子原作の「金髪の草原」を映画化、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞した。以降、しばらくはCMやテレビシリーズ『伝説のワニ・ジェイク』(02年に劇場公開)などを手がける。03年、池脇と妻夫木聡主演の「ジョゼと虎と魚たち」がヒットし、劇場映画監督としての活動が本格的になる。「死に花」(04)は東映配給の初メジャー作品。以降、「メゾン・ド・ヒミコ」(05)、「眉山」(07)、「グーグーだって猫である」(08)、「ゼロの焦点」(09)などコンスタントに良質の作品を発表している。【生き方と死を考察する一貫した作風】大林宣彦の系譜を継ぐCM出身監督であり、脈々と続けた自主映画作品の評価が監督デビューにつながった自主映画出身の色が強い。犬童作品の主要人物は、時にはシニカルな毒気を孕みつつ凜とした清潔さを帯びている。社会の激しい変化から外れた者の心象に思いを向ける作風によるものだが、そこにあるのは弱者へのシンパシーではなく、大きな力を必要としない生き方を選ぶ人への憧憬である。それゆえ金魚、犬、猫といった動物も、自分の律に従って生きる者として同格に尊重される。もうひとつの重要なモチーフは死。死者を言葉通り先に行き、生ある人を見守る者と捉える姿勢はしばしばファンタジーの形を取るが、喪失の思いに敏感な描写によって生への励ましに結実する。こうした人生観照スタイルの瑞々しさがインディーズからメジャーへと場を移し、人気俳優の演出機会を増やした。