【「ゴッドファーザー」以後、ニュー・ハリウッドの寵児に】アメリカ、デトロイト出身。一時はフランシス・コッポラの表記を採った。音楽家の父カーマイン、女優の妹タリア・シャイア、監督となった息子ローマンと娘ソフィア、男優の甥ニコラス・ケイジなど、親族に芸能人が多く、しばしば身内を自作に起用している。ニューヨーク郊外で育ち、幼い頃から映画作りに興味を持った。ホフストラ大学演劇科時代はエイゼンシュテインに熱中、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の映画学科へと進んだ。UCLA在学中から小製作会社で「グラマー西部を荒らす」などの小品を撮り始め、のちロジャー・コーマンの門下生となる。1963年の「ディメンシャ13」で公式の監督生活へ。一方で脚本家としても活動し、「パットン大戦車軍団」(70)はアカデミー賞脚本賞を受賞した。この間の69年に、作家主導で自由に映画を作るための製作会社アメリカン・ゾエトロープを設立、ワーナー・ブラザーズとの契約でジョージ・ルーカス監督の「THX―1138」(71)を送り出すが、ワーナー側の評価は芳しくなく会社は危機状態に陥った。しかし雇われ監督として手がけた72年の「ゴッドファーザー」が世界的に大ヒットしアカデミー賞の作品賞・脚色賞ほかを獲得。続く自主企画の「カンバセーション…盗聴…」や「地獄の黙示録」はカンヌ映画祭でグランプリを、「ゴッドファーザーPARTⅡ」は続編が前作を凌ぐことはないというジンクスを覆しアカデミー賞作品賞・監督賞・脚色賞ほかを受賞するなど、70年代を代表する映画監督と目されるに至った。【作家=製作者の開拓推進者】「ゴッドファーザー」以後は主に、映像美に基づき壮大な物語をオペラ的に謳いあげる作風が特徴とされた。「アウトサイダー」等の小品の評価も高く、近年の10年ぶりの監督作「コッポラの胡蝶の夢」(07)では初期に近いパーソナルな映画づくりに立ち返っている。一方で、ハリウッドにおける監督兼製作者としての位置作りに功績が見られた。ゾエトロープ自体は「ワン・フロム・ザ・ハート」で再度苦境に立つなど浮き沈みを繰り返したものの、80年代はルーカスやスピルバーグとともに若手監督の推進をはかり、メジャー一極支配体制の改革を推進した。監督が時に製作も兼任し、大手スタジオと対等の立場で大作商業作品を手がけるという今日の状況はコッポラの時代に始まる。黒澤明監督作「影武者」への資金援助に示される、先達・先行作へのオマージュ志向もこの世代以降の特徴。