阪東妻三郎の4男で末っ子。京都の嵯峨小学校から、すぐ上の兄・正和と同じコースをたどって69年に成城大学経済学部を卒業。成城高校3年のとき、NHKテレビが阪妻13回忌で企画した田村3兄弟主演『破れ太鼓』(65)に、おつきあいのつもりで出演したのがきっかけでNETの『結婚します』(65)に出演するうち稲垣浩の監督101本記念映画「暴れ豪右衛門」(66)に出演をすすめられ、大学生のアルバイトのつもりで出演に応じ、主演・三船敏郎の弟役で若武者ぶりを見せ、以後、プロとして映画、テレビに出演。映画は三船プロの「怒涛一万浬」(66)で再び三船と共演、ついで東宝の青春映画に顔を出し、「あこがれ」で内藤洋子と共演したほか「お嫁においで」(66)、「颱風とざくろ」(67)、「めぐりあい」(68)に脇役で出演するが、とくに印象的な作品はなく、大映末期の渥美マリ主演の「しびれくらげ」「いいものあげる」(70)に共演したりする。この70年、実相寺昭雄監督に起用され「無常」で姉と近親相姦して妊娠させたうえ仏像の魅力につかれて入門した先の仏師の妻とも関係する旧家の青年にふんし、実相寺の意図する日本的精神風土のなかのセックスを通じての人間探究に大胆な演技を見せてからようやく注目され、その後の実相寺作品「曼陀羅」(71)、「哥」(72)、「歌麿・夢と知りせば」(77)にも出演する。テレビはNETの『恋歌』(69)、NHKの『春の坂道』(71)、フジの『どてらい男』(73-75)ほか。69年5月に劇団俳優小劇場養成所に入り演技を学び、72年10月『40カラット』で舞台を踏んでいらい舞台にも進出、78年2月の東京宝塚劇場の“阪妻を偲ぶ”公演では阪妻ゆかりの『雄呂血』を兄・正和とダブル・キャストで主演。2人の兄の長所をすべて受けつぎ、なお線の太さを感じさせる逸材だが、まだ未完の大器として、俳優としての自分の道を早く探り当てることを期待されている。76年10月21日、宇佐美恵子と結婚、1男あり。