伊賀山中で、福島正則の家臣山城大力丸は、石川五右衛門に襲われ、密書を奪い去られた。それは大阪城の隠し砦を秘めた絵図面を守ろうと、豊臣秀吉が甲賀流忍術の大名人戸沢白雲斎を迎える書状であった。五右衛門の知らせで、豊臣方の秘密を握った伊賀流忍術の大家百地三太夫は、その書状を駿府城の徳川家康に届けさせた。虎若丸は、白雲斎の一子で、父の命を受け、得意の忍術で福島家の護り役を勤めはじめた。或る夜、伊賀流の女忍者が忍び入り、手箱の中の例の絵図面を盗もうとした。彼が取り押えて見ると、腰元さぎりであった。正則公の息女おねねが、石川五右衛門に攫われ山塞の牢に閉じこめられた。彼女はすぐに、自分と同じ年頃の幼い五郎一と仲良しになり、毎日忍術ごっこで遊び暮した。虎若丸はおねねを救うため、駿河城に忍びこんだが、五右衛門が現われ、忍術比べとなった。三太夫の気合に術を破られ、敵のとりことなってしまった。だが、いつかの女間者さぎりの命をかけた勇敢な救出に虎若丸は地下牢を脱出し、地獄谷の天狗杉へ向った。そこには山城大力丸が待っていたのだ。彼と力を合わせて、虎若丸はおねねを奪い返した。三太夫たちは、最後の手段と虎若丸に忍術腕くらべを申し入れてきた。大阪城で熱戦の末、ついに、一方が秘術を破られ、天主閣のてっぺんから転り落ちて行った。もちろん負けたのは三太夫の方である。五右衛門も、術を見抜かれ捕まった。その子五郎一とともに、釜ゆでの刑にかけられようとした。が、虎若丸の頼みで五郎一の方は赦された。虎若丸は、五郎一を、自分の青雲に乗せて、忍術修業へ旅立った。