日本の敗色濃い昭和二十年初夏、沖縄水域にいた潜水艦イ-57は突如マレー半島ペナン基地へ回航を命ぜられ、そこで「和平工作を推進するため某国外交官父娘をスペイン領カナリー諸島に輸送せよ」との意外な命令を受けた。この命令は、大本営の参謀数名が日本を敗戦より救うため少しでも有利に和平条約を結ぼうという極秘計画によって発せられたもので、命令伝達のため東京から横田参謀が来ていた。イ-57艦長・河本少佐は初め頑として命令を受付けなかったが、横田参謀の涙の説得に屈した。しかし問題は血気盛んな七十数名の艦員が果して和平推進の片棒かつぎに賛成するかどうかである。河本少佐は先任将校の志村大尉にだけ事実を話し出港した。出港後間もなく一隻のランチが近づき、某国外交官ベルジエと娘のミレーヌが乗込んだ。イ-57の目的地アフリカめざしインド洋へ乗出した。果して艦員たちは外国人父娘の乗艦を怪しみ動揺した。艦内の猛暑に音をあげつつイ-57が赤道を越えたころ敵の駆逐艦に発見され、必死の応戦で撃沈したが今度は敵機に発見された。イ-57は、ちょうど浮上して駆逐艦に受けた損傷を修理しているところだった。しかし直ちに潜航。艦上で作業していた阿部一水は波に呑まれた。阿部一水の悲壮な最期に河本少佐は初めて全員に目的を明かした。艦員は不満だった。が、使命は何であろうと艦長に捧げた体は同じと使命の達成を誓った。敵機の攻撃を避けつつイ-57はアフリカ南端に達した。しかし、このときポツダム宣言が発せられた。和平工作は無意味となった。ペナン基地ではイ-57に帰投を命じた。が、イ-57の無線機は故障していた。通信不能のままイ-57は目的地に到着、未明に浮上して合図の信号を待った。今となってもちろん合図はない。ベルジエ父娘を揚陸するため艦は潜航のまま危険な岩礁地帯を徐行した。このとき駆逐艦三隻が迫ってきた。イ-57は白旗を掲げて浮上、非戦闘員二名を引取ってほしいと敵駆逐艦に伝えた。ベルジエ父娘は無事引渡された。敵駆逐艦はイ-57に降伏を勧告してきた。が、イ-57は敢然と敵に向った。ベルジエ父娘が収容された駆逐艦を避けて一隻を撃沈、さらに自らも傷つきつつ他の一隻に体当りした。イ-57は沈んだ。広島に原爆投下の前日のことだった。