【独創的な作品を生み続けるヌーヴェル・ヴァーグの独走者】スイス系の家系でパリに生まれ、フランスとスイスを行き来しながら育った。ソルボンヌ大学在学中、シネクラブ等でフランソワ・トリュフォーらと知り合い、アンドレ・バザンを中心に映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』を創刊。映画の評価基準となるのは監督であるという“作家主義”を提唱し、自主製作でその実践活動に入った。1961年から67年まで自作の主演を務めた女優アンナ・カリーナと61年に結婚し64年に離婚、「中国女」(67)に主演したアンヌ・ヴィアゼムスキーと67年に結婚し71年に離婚している。54年、24歳で短編ドキュメンタリーを初監督。59年の「勝手にしやがれ」で長編デビューを飾り、一躍ヌーヴェル・ヴァーグの旗手と称えられた。「小さな兵隊」(60)、「女は女である」(61)、「女と男のいる舗道」(62)、「軽蔑」(63)などでは軍隊・女性束縛・売春・資本主義といった社会的テーマの作品を手がけ、「気狂いピエロ」(65)でヴェネチア映画祭青年批評家賞を受賞。やがて毛沢東主義に傾倒し、政治的思想表明が顕著な「中国女」「ウィークエンド」(67)などを発表する。以降は「勝手に逃げろ/人生」(79)で復帰するまで商業映画と絶縁し、個人の署名をも捨て、同志らと“ジガ・ヴェルトフ集団”を名乗って政治的メッセージを発信した。商業作品復帰後の80年代以降は芸術と哲学に回帰し、「カルメンという名の女」(83)でヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞したほか、主に物語の表現方法を模索。「ゴダールの映画史」(98)では映画という存在を問い、「愛の世紀」(01)や「アワーミュージック」(04) では文学・音楽を内省するなど、今日に至るまで独自の作品を発表し続けている。【既成概念を打ち破る知性の作家】50年代末にフランスで沸き上がった新しい映画潮流“ヌーヴェル・ヴァーグ”の中でも、特に「勝手にしやがれ」は撮影所製作のスタイルとはまったく異なった撮影・演出方法を採って映画の既成概念を壊し、映画の革命と評価された。続く諸作では、映画に政治的な意味合いを与えて主題のうえでも映画史に刺激をもたらし、政治に燃えた若者世代の最前線闘士として活動することになる。68年のカンヌ映画祭粉砕事件の後にヌーヴェル・ヴァーグの潮流から外れ、70年代の実験的展開を経て、80年代前半の作品で一般的な題材のなかの審美性を追及し、やがて映像コラージュで物語を解体する方向へと進んだ。映画そのものを映画で思考した「映画史」はそのひとつの到達点であるとする見方もある。時に作品は難解とも受け止められるが、美学と思考の独創性は他の追随を許さない。2022年9月13日、居住するスイスにて逝去。享年91歳。