1923年、フランスに生まれたマルセル・マルソー。ユダヤ人の父はゲシュタポに捕らえられ、1944年、アウシュヴィッツの強制収容所で死亡。マルソーは戦争終結後の1946年、サラ・ベルナール劇場で身体表現を学ぶ。1947年以降、白く塗られた顔、花の飾られたよれよれのシルクハットの扮装で演じる彼のパントマイム・パフォーマンスは、広く人々の間で人気を博した……。マルソーの娘であるカミーユ・マルソー、オーレリア・マルソー、妻のアンヌ・シッコらがマルソーの人物像や思い出、家庭での姿を語る。アンヌ・シッコはパントマイム教室の運営者でもあり、いつかマルソーについての作品を作りたかったと語る。マルソーの孫、ルイ・シュヴァリエは「僕が5歳のときに亡くなったから祖父のことはあまり知らない」と語るが、彼もまたダンスを学ぶ16歳のパフォーマーである。マルソーの孫として見られることへの重圧を感じ、悩みながらも自分のスタイルを創りだそうとしている。青年期、マルソーと共にレジスタンス運動に身を捧げた108歳になる従兄弟のジョルジュ・ロワンジェ。彼の息子ダニエルが、ユダヤ人孤児300名余をスイスに脱出させたマルソーの抵抗の精神を詳細に語る。また、マルソーのマイム学校で学んだパフォーマーのロブ・メルミンは、パーキンソン病に罹患して以降、パントマイムやサーカスの技法を応用し、運動スキルをトレーニングする方法を研究・開発している。さらに、ろう者のパントマイマーであるクリストフ・シュテルクレは、生来全く聴こえないが「その代わりマイムがあった」「聴覚はないが二倍激しく生きている」と手話で語る。シュテルクレは本作の監督、マウリツィウス・シュテルクレ・ドルクスの父親であり、子どもの頃から監督のパントマイム観に影響を与え、監督が映像に大きな関心を持つきっかけとなった人物である。