香港生まれ。7歳で全寮制の中国戯劇学院に入学。10年に渡って京劇の基礎を徹底的に学ぶ。厳しい寮生活の中、8歳で映画初出演。やがて実力が認められ、「少林寺木人拳」(76)、「蛇鶴八拳」(77)などクンフー映画に主演するようになる。コメディ要素を取り入れた「スネーキーモンキー 蛇拳」(78)、「ドランクモンキー 酔拳」(78)の大ヒットによりスターの座に就くと、「クレージーモンキー 笑拳」(79)で初監督を務める。以後も続々と主演作が生まれ、「バトルクリーク・ブロー」(80)でアメリカ進出に挑戦。これは失敗に終わったものの、95年の「レッド・ブロンクス」で再進出に成功。クリス・タッカー共演の「ラッシュアワー」(98)がシリーズ化されるなど、世界的スターとなった。