【ソフィスティケイテッド・コメディの第一人者】ドイツのベルリン生まれ。1911年、ベルリン演劇劇団に入り、著名な舞台演出家マックス・ラインハルトのもとで俳優となり、数本のコメディに出演。13年から短編映画を撮り始める。15年から長編を撮るようになり、ポーラ・ネグリ主演の「パッション」(19)、「寵姫ズムルン」(20)といった濃密な歴史メロドラマを手がける。「パッション」はドイツ映画に対するアメリカの障壁を打ち破るヒットとなったほか、ドイツ映画人のアメリカ参入のきっかけともなった。メアリー・ピックフォードに招かれてハリウッド入りし、23年に彼女主演のコスチューム・ロマンス映画「ロジタ」を監督。ワーナー・ブラザースで5本の映画を撮るが、それらにはドイツでも得意としていた、結婚生活の内外における男女関係の深奥と心理が描き込まれていた。特に女性のキャラクターは性衝動に積極的で、センチメンタルなところが無いのが特徴。しかし、ルビッチの描く男女は不倫に惹かれるも、結局は互いに相手への理解を深め、もとの鞘に収まるというハッピー・エンドのものがほとんどで、「結婚哲学」(24)がその好例である。【ルビッチ・タッチ】28年にパラマウントと契約。トーキー時代になると、彼は映画会社が売りにしていた“オール・シンギング、オール・ダンシング”のミュージカルではなく、ミュージカル・コメディの設定の中で自然な展開を重視して、7本のシネ・オペレッタを撮った。32年の「極楽特急」で初めてノン・ミュージカルを手がけるが、この作品でのちにルビッチ・タッチと呼ばれる独自の手法が開花することになる。ルビッチ・タッチとは生き生きとしたダイアローグ、興味深いプロット、ウィットにとんだキャラクター、上品なエロティシズムが特徴だ。35年にはパラマウントの製作担当ヘッドとなるが、一本に全精力を注ぐタイプなので、多くの作品に目を配らなくてはならない職種はうまくいかず、1 年でやめてしまう。「陽気な巴里っ子」(26)、「ラヴ・パレイド」(29)、「生活の設計」(33)、「ニノチカ」(39)とヨーロッパの上品かつ艶っぽい雰囲気を漂わせた作品を撮った。25年間の映画界への貢献を称えて46年度アカデミー賞の特別賞が授与された。