アメリカ・カンザス州ピクア生まれ。ヴォードヴィル芸人の両親の許に生まれ、幼い頃から舞台出演。1917年に喜劇役者ロスコー・アーバックルの誘いを受けて映画界入り。19年より自身の監督・主演で短編喜劇映画製作をはじめ、20年には初の長編「馬鹿息子」を発表。どんなシーンでも徹底的に無表情を決め込む姿勢が“グレート・ストーン・フェイス”と大いに受け、チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドと並ぶ三大喜劇王として君臨。30年代以降は低迷するが、50年代に再評価の気運が高まり、52年「ライムライト」でライバルでもあったチャップリンと共演。60年にはアカデミー賞名誉賞が授与された。