慶長五年関ケ原合戦のころ、戦場泥棒の浮浪児お霧、清次、伊三、六たちの底抜けの明るさに、落武者の根津甚八、筧十蔵らが加ったのも無理はない。十数年がすぎて天下が再び風雲急となったある日、一行は以前知り合ったはなれ猿の佐助というヘンな野郎と出くわした。彼は生れ落ちた時イン石の放射能が体に作用したとかで不思議な術を身につけていた。佐助をリーダー格とし、ぎたあるをかき鳴らして徳川家を諷刺する由利鎌之助を加えた一行は、大坂城に向った。ここで秀頼公から入城をすすめられて優秀な部下を探しまわっていた真田幸村と知りあい、彼に従うことになった。もし勝てばでかい夢がもてる、と佐助たちの心中もさまざまに穴山小助と望月六郎を加えた真田十勇士が出来上り、六文銭の旗があがった。いよいよ大坂冬の陣、しかし大坂城の幹部は篭城をとなえ、業を煮やした真田隊が勝手に出撃して徳川方忍者服部半蔵さえいなければ決定的勝利を得るほどの戦果をあげても叱られる始末。淀君は女、秀頼は若い、執権の大野修理の心はサッパリ判らぬときている。その間、お霧の愛を獲得した佐助は、同時に冬の陣が八百長だったという事実をつきとめた。やがて休戦、大坂城の外濠を埋めることで和議が成功したのだ。全くアタマに来た真田は俺たちだけでやろうと飛び出したが孤立無援、かえって味方の鉄砲隊に狙われ三人が死亡、お霧は流産した。城に舞い戻った佐助は修理に対決し、所詮彼らに闘う気がなかったことを知った。元和六年夏の陣が始まり、濠埋めの労役から解放された佐助達は、ただ自分達のために闘った。諸将は続々倒れ、天王寺の決戦で幸村も死んだ。燃える大坂城を仰ぎ、佐助は無事なお霧と小さな幸せを思わぬでもなかったが、服部半蔵との無意味ともいえる、しかし凄じい忍術合戦に体をブチ込んでいくのだった。