男性      女性

※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。

NEWS

KINENOTE公式Twitter

ハワイ・マレー沖海戦

  • はわいまれーおきかいせん
  • The War at Sea from Hawaii to Malaya
  • The War at Sea from Hawaii to Malaya

amazon


  • 平均評点

    65.0点(100人)

  • 観たひと

    190

  • 観たいひと

    8

  • レビューの数

    30

基本情報

ジャンル 戦争
製作国 日本
製作年 1942
公開年月日 1942/12/8
上映時間 115分
製作会社 東宝
配給 東宝
レイティング 一般映画
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
カラー/サイズ モノクロ
メディアタイプ フィルム
音声
上映フォーマット 35mm

スタッフ

キャスト

出演伊東薫 友田義一
英百合子 母つね
原節子 姉きく子
加藤照子 妹うめ子
中村彰 立花忠明
汐見洋 父周右衛門
井上千枝子 母しづ
大崎時一郎 兄周明
音羽久米子 姉ふみ
藤田進 山下大尉
河野秋武 斎藤班長
大河内傳次郎 佐竹艦長
小島洋々 徳田副長
菅井一郎 牛塚航海長
清川荘司 島田飛行長
瀬川路三郎 末水砲術長
深見泰三 杉本整備長
御橋公 戸沢軍医長
北沢彪 津村主計長
田中春男 伊沢航海士
真木順 田代兵曹長
黒川弥太郎 森部少佐
山川ひろし 佐久間兵曹長
山島秀二 野村兵曹長
武林大八郎 見張長特務少尉
国創典 掌衣糧長
木村功 倉田三飛曹
小田原竜次郎 村川一飛兵
田中利男 小村一飛兵
大久保欣四郎 山田一飛兵
花澤徳衛 森岡二整曹
進藤英太郎 栗本司令
清水将夫 秋山飛行長
今成平九郎 佐伯整備長
坂内永三郎 大村通信長
二本柳寛 松本飛行隊長

解説

昭和十七年(1942)に海軍省の後援で製作された国策映画で、監督はこの前年、「馬」を発表した山本嘉次郎。1968年1月27日再映。

あらすじ

昭和十一年、海軍兵学校の生徒、立花忠明は休暇で帰省した。忠明はその時、従弟の友田義一が海軍少年飛行兵を志願しているのを知り、義一の頼みで、志願を許してくれるよう義一の母を説得した。翌年、義一は土浦海軍航空隊予科練習部に入隊、厳しい訓練を受け始めた。昭和十四年、義一は予科練を卒業して海軍飛行隊の一員となり、一人前の操縦士となるための猛訓練が毎日の日課になった。そんな中で義一は親友を夜間訓練で失ったが、親友の死を嘆く間もなかった。日本と英米間に暗い影が忍びよっていたのだ。昭和十六年の秋、義一たちを乗せた空母がひそかに基地を出航して行った。乗組員に行先は知らされていなかった。数日後、乗組員が聞かされたのは、十二月八日未明にハワイ真珠湾を攻撃するという命令だった。その日、空母を飛び立った大編隊は、見渡す限りの雲海の中を進んでいた。突然、雲の小さな切れ目から、真珠湾口が光った。そこには米太平洋艦隊の主力が、静かに停泊していた。やがて、義一たちの雷撃隊、急降下爆撃隊、水平爆撃隊の大編隊の奇襲攻撃が始った……。一方、仏印飛行場では忠明らの中攻大編隊が、「英国艦隊主力二隻発見」の報に飛び立ったが敵艦を発見出来ないままに帰還しなければならなかった。しかし、その後、潜水艦の情報で、再び忠明らは飛行場を飛び立った。やがて、忠明らの編隊は眼下に敵艦を発見、たちまち、激しい戦いが始った。不沈艦を誇ったプリンス・オブ・ウェールズは死闘をつづけながらも、何本もの魚雷攻撃を受けて、ついに艦首から海にのまれていった……。こうして日本は連合国を相手に、第二次世界大戦の真っただ中に歩んでいったのである。

関連するキネマ旬報の記事

1968年2月上旬決算特別号

日本映画紹介:ハワイ・マレー沖海戦

1963年5月下旬号

カツドウヤ水路:33 「ハワイ・マレー沖海戦」6

1963年5月上旬号

カツドウヤ水路:32 「ハワイ・マレー沖海戦」5

1963年4月下旬号

カツドウヤ水路:31 「ハワイ・マレー沖海戦」4

1963年4月上旬春の特別号

カツドウヤ水路:30 「ハワイ・マレー沖海戦」3

1963年3月上旬増大号

カツドウヤ水路:28 「ハワイ・マレー沖海戦」