三谷菊治は、鎌倉円覚寺の参道で千羽鶴の風呂敷を抱えた令嬢に仏日庵への道を尋ねた。菊治は、生前父がよく通ったというお茶席を見たいと思っていた。栗本ちか子のお茶席には、太田夫人文子の母娘も来ていた。父親がこよなく愛した太田夫人は、久しぶりに会う菊治に感慨深げだったが逆に父の愛に満たされなかったちか子は、お見合い相手として自分の弟子の稲村ゆき子を紹介した。清楚な美しさを待ったゆき子は、菊治が最前境内で会った令嬢だった。お茶会の帰途、太田夫人は父親の面影を残す菊治に、心を乱した。菊治が帰宅すると、待っていたちか子が持前の強引さで稲村今嬢との結婚を勧めた。しかし、太田夫人は菊治を求め、菊治は文子から交際を絶つように懇願されながら太田夫人から離れることが出来なかった。父が毎年茶会を開いていた日、ちか子がゆき子を三谷家に招いた。菊治は、乙女らしいゆき子と談合するうち、それがちか子の紹介でなければと思った。ちか子が、太田夫人に「二人の結婚の邪魔をしないように」と電話をしたのはそれから間もなくのことだった。しかし、太田夫人は、文子の眼を逃れるように、衰弱した体を菊治のもとに運んだ。その夜、太田夫人は、自ら生命を絶った。十七日も済んで、文子は母の形見の志野の筒茶碗を菊治に贈った。それからひと月ほどたったある日、ゆき子が結婚した。その夜三谷家を訪れた文子は、母の形見の志野を割って欲しいと言いだした。菊治はそれを父の形見の唐津の茶碗と並べ、文子と向いあって坐った。しかし、文子の茶筅を持つ手がふるえ、やがて二人は結ばれた。よろめきながら立上った文子は、志野の茶碗を庭石に投げつけ、暗闇の中に姿を消した。翌朝文子はいずこかへ旅に出てしまった。その夜、菊治は「文子さんは、死ぬつもりかも知れませんよ」というちか子の言葉をうち消すように、父の形見を庭石に叩きつけた。