上州国定村の長岡忠治は関八州の十手に追われ、赤城の山にたてこもった。上州百三十カ村の窮状を見かね、悪代官竹垣を斬ったからだ。十手をあずかる御室の勘助は忠治に同情的だった。が、彼を叔父に持つ、板割の浅太郎は他の乾分から親分を売ろうとしたと責められていた。その夜、浅太郎は秘かに山を降り、帰ってくるると、勘助の首をたずさえていた。「浅をいつまでも親分のそばに置いてくだせえ」勘助のかたみ・勘太郎坊やだけが無心に笑っていた。明月の赤城山は無数の捕方に囲まれた。乱闘。乾分は次々に死に、浅太郎までも倒れた。「勘坊だけはやくざにしねえで……それが叔父貴の遺言でござんす」忠治はうなずくと、勘太郎を背に信州路を落ちのびて行った。白鷺の湯場へたどりつき、昔の仲のお仙を訪ねた。今は料理屋“三日月”のおかみは暖く迎えたが、忠治はやはりだまって消えようと思った。乾分の名をかたる三人組があり、捲き上げられた金を取り戻してやったのを機に、お仙は勘太郎をあずかることになった。お仙の心尽しの路金をふところに、忠治は彼を呼ぶ勘太郎をそのまま、闇の中に消えて行った。--忠治は権堂町へさしかかった。ここには十手をあずかるかたわら、女子供を売買する悪親分、山形屋藤造がいた。忠治は宿で百姓喜右衛門が首をつったのが、貧しさに娘お芳を売って得た百両を山形屋が奪いとったからだと知った。彼は百姓姿に化け、山形屋へ乗りこむ。やがて居直って大見得を切る。「この面によく似た人相書の二枚や三枚見たことがあるだろう」彼は山形屋から百両はもちろん、娘も二分の内金で身受けして喜右衛門に返してやった。街道はずれで、藤造が追手をかけてきた。彼はたちまち三十人を斬ったという。血を吸った小松五郎義兼が月を映した。「俺の生涯の道連れは手前だけだなあ」月明りの松並木を、忠治の影が遠ざかっていった。