弘化元年3月。明石藩江戸家老・間宮が、老中・土井家の門前で切腹自害。間宮の死は、明石藩主・松平斉韶(稲垣吾郎)の暴君ぶりを訴えるものであった。将軍・家慶の弟である斉韶は、明年には老中への就任が決まっている。事件は時の幕府を動揺させ、このままでは幕府、ひいては国の存亡に関わると判断した土井は斉韶暗殺を決断、御目付役・島田新左衛門(役所広司)にその命を下す。大事決行を控え、新左衛門は刺客集めに奔走。剣豪浪人平山、酒と女と博打に溺れる新左衛門の甥・新六郎ら十一人の強者達が新左衛門のもとに集う。暗殺計画が極秘裡に進められる中、斉韶の腹心・鬼頭半兵衛(市村正親)はその情報を掴んでいた。彼は、かつて新左衛門と剣の同門でありながらも道を違え、御用人千石の身分を自ら掴んだ傑物であった。そんな中、新左衛門は、斉韶を襲うのは江戸から明石への参勤交代の道中しかないと判断、襲撃場所を交通の要所の落合宿に決める。明石藩の参勤交代が尾張を通る時、尾張藩への通行を阻止すれば、勢力を削られた行列は落合宿に出るはず。斉韶を落合宿に誘い込むため、新左衛門は事の詳細を尾張藩の木曽上松御陣屋詰・牧野靭負に打ち明け協力を求める。斉韶が落合宿にやって来るかは、極めて危険な賭けであったがそれしか手はない。刺客たちは現地へ急行、明石藩を迎え撃つべく落合宿を要塞へと改造する。道中、山の民・木賀小弥太が加わり、落合宿にて総勢十三人の刺客が揃う。だが、明石藩は待てども待てども落合宿にやってこない。新左衛門の計略は失敗に終わったかに思えたその矢先、敵は200騎以上の多勢となってやってきた。鬼頭は兵を蓄え、この戦いに備えていたのだ。混乱の中、明石藩の退路を断つ大橋が爆破。13人対300人超の決戦が始まった……。