男性      女性

※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。

KINENOTE公式Twitter

     KINENOTE DATA       前日比
会員数 54,729 2
総鑑賞データ数 7,064,650 558
総レビュー数 933,094 122
鑑賞方法別データ数
映画館 1,834,126 155
レンタル 596,906 11
購入 124,720 7
VOD 559,557 124
テレビ 924,129 83
その他 158,642 22

ジェーンとシャルロット

  • じぇーんとしゃるろっと
  • JANE PAR CHARLOTTE
  • JANE BY CHARLOTT
  • 平均評点

    65.0点(45人)

  • 観たひと

    76

  • 観たいひと

    6

  • レビューの数

    17

基本情報

ジャンル ドキュメンタリー / 伝記 / ヒューマン
製作国 フランス
製作年 2021
公開年月日 2023/8/4
上映時間 92分
製作会社 Nolita Cinema=Deadly Valentine=Jour2Fete
配給 リアリーライクフィルムズ(関西地区配給:キノ・キネマ)
レイティング 一般映画
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
カラー/サイズ カラー/ビスタ
メディアタイプ ビデオ 他
音声 5.1ch
上映フォーマット デジタル

スタッフ

キャスト

(C) 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

場面

予告編


     

解説

セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘、シャルロット・ゲンズブールが初監督作として母ジェーンを撮影したドキュメンタリー。娘たちへの想い、これまで感じた苦悩や後悔、長女ケイトを自死で失って以降の深い悲しみを、優しい時間の中に紡ぎ出す。第75回カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクション、第48回セザール賞最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート。

あらすじ

2018年、東京。シャルロット・ゲンズブールは、母であるジェーン・バーキンを撮影し始める。これまで、他者と対峙したときに付き纏う遠慮のような感情が、母と娘の関係を歪なものにしてきた。母娘は、自分たちの意思とは関係ないところで距離を感じていた。ジェーンがセルジュの元を離れ、家を出て行ったあと、シャルロットは父の元で成長した。そんなシャルロットは、3人の異父姉妹のこと、次女である自分より長女ケイトを愛していたのではないかという疑念、公人であり母であり女である彼女の半生とはいったいどんなものだったのかを、ジェーンに聞いておきたかった。シャルロットはカメラのレンズを通して、初めて母親の真実と向き合う……。

関連するキネマ旬報の記事

2023年8月号

巻頭特集 ALL ABOUT MOVIES:ALL ABOUT MOVIES 03 映画と母娘(おやこ)と人生 「ジェーンとシャルロット」 インタビュー シャルロット・ゲンスブール[監督]

巻頭特集 ALL ABOUT MOVIES:ALL ABOUT MOVIES 03 映画と母娘(おやこ)と人生 「ジェーンとシャルロット」 作品評

巻頭特集 ALL ABOUT MOVIES:ALL ABOUT MOVIES 03 映画と母娘(おやこ)と人生 「ジェーンとシャルロット」 エッセイ

REVIEW 日本映画&外国映画:「ジェーンとシャルロット」

UPCOMING 新作紹介:「ジェーンとシャルロット」

  • 鑑賞日 2025/02/14

    登録日 2025/02/14

    評点 45


    鑑賞方法 テレビ/有料放送/WOWOW 

    字幕


    母と娘の間の溝と思い違いの絆

    現場に持ち込まれているキャメラは,2-3台といったところだろうか.構成に則った演出も感じられ,そのテーマは母と娘でもあるが,その間にある距離,人間と人間の間や,過去と現在の間にある記憶をめぐる断想が問題にもなる.母と娘はそれぞれに著名人でもあり,彼女らへの興味と関心が彼女らの生を物語のように見せている.
    東京,ニューヨーク,パリといった都市が見えている.母と娘は,それぞれにこれらの都市にも思い出がある.母ジェーンが歌を歌おうとステージに立つ.シャルロットは母ジェーンのライブを見守る.ジェーンは曲を歌い,ステージで輝くが,カメラが回るその裏で,シャルロットとの距離はやや遠い.互いの仕事や生活を敬いながらも,どこか埋められない溝が感じられる.二人は伝説的歌手セルジュ・ゲンズブールの妻と娘として特別な人生を歩んできたが,その絆は常に微妙なバランスの上に成り立っている.シャルロットはフィルムのカメラを手に,風が吹く中でシャッター音を響かせながら,母の姿を捉える。それはまるで,過去のフィルムを再生するかのように,記憶を呼び戻す行為にも見える.
    物語が進むと、ジェーンのかつて住んでいた部屋が登場する.そこは博物館のようになっており、缶詰や薬、日常の遺物がそのまま残されている.捨てられないという思いが、過去への執着を象徴する.この部屋で、父であり夫であるセルジュの存在が静かに浮かび上がる.シャルロットにとって、彼は母との関係を語る上で欠かせない影でもある.
    女二人が同じベッドに寝るシーンがある.眠れない夜,過去の出来事が頭を巡り,何年も過去に戻り続けているかのような感覚が漂う。シャルロットはカメラ越しに母を見つめ,写真を撮ることでその瞬間を永遠に留めようとするが,同時に,向き合うことへの躊躇いも垣間見える.ジェーンもまた,娘にすべてを語れないもどかしさを抱え,さらに奥には罪悪感も感じられる.


  • 鑑賞日 2024/09/18

    登録日 2024/09/18

    評点 75


    鑑賞方法 VOD/U-NEXT/レンタル/テレビ 

    字幕


    母と娘、むかしは少女だった

    いきなり東京だ。これオペラシティコンサートホール?ジェーン・バーキンがそこに来て歌ったのは2013年のことらしい。それから、ホテルの部屋、焼き鳥屋の赤ちょうちん…あれ、「ロスト・イン・トランスレーション」をシャルロット・ゲンズブールも撮りたくなったのかしら。

    母ジェーンと娘シャルロット、と聞くと、「なまいきシャルロット」とか思い出してしまうけど、彼女も53歳だ。最近では「ニンフォマニアック」などで、とても大人な役をたくさんやっています。母も娘も、”常識”や”規範”より自分の中から出てくる感情や感覚を大事にし、自分を信じ、人間を信じる。すごく素直で繊細な二人です。人を疑って生きても、信じて生きても、一生は一度だけ。自分の心をきれいに保つと、きっと気持ちいいんだろうな、と思います。

    ジェーン・バーキン、エルメスのバーキンの由来となった、片付けられないことで世界一有名な女性。名前はまったくもってイギリス人なんだけど、彼女のことはフランスで生まれ育った人のように思っている。それくらい、フランスに受け入れられ、愛された人です。私はフランスって国はかなり苦手なので(旅行したときに嫌な思い出しかない)、あの国で愛されるのってどういう人なんだろう、と思う。若い頃のジェーンも可愛い人だったけど、おばあさんになっても、心の柔らかい、可愛い人だなぁ…可愛いと思われたいとか考えない人だから、可愛いんだな。娘も「二番目の娘どうしだから似ている」という。

    母と娘は、どこか二人の時間の終わりを見据えている。娘が母と自分を撮影している今この瞬間が、一瞬であり永遠だ、ということをわかっている。胸をぎゅっとつかまれる。母が、妖精みたいな少女だったときに歌った、ささやくような歌がはかなくて、本当に美しいものは必ずいつか死ぬ、ということを思い起こさせる。

    この映画撮っといてよかったね。娘から母にできる最高のことだと思う。親しくおしゃべりをして、懐かしい場所に一緒に行って、少しだけ近くなる。お互いの痛みを少しだけ知る。

    なんだか、自分のことでもないのに、そういう瞬間が大切でたまらない気がして、涙腺がゆるんでしまうのは、もう年寄りだからかな…。


  • 鑑賞日 2024/07/25

    登録日 2024/07/25

    評点 40


    鑑賞方法 テレビ/有料放送/WOWOW 

    字幕


    極私的ホームムービー

    シャルロット・ゲンズブール製作&初監督&出演による、
    母親ジェーン・バーキンとのドキュメンタリー。

    「映画の撮影は、今まで照れてできなかった『母との話し合い』の口実にするため」
    とのコメントがあるので、
    「自分の為に作った映画」という感じで、
    詳しい人以外は知らない身内やペットなどの固有名詞が次々と登場しても、
    それらに注釈を入れるとか、今居る場所はどこかとかを全く説明せず、
    「観客に見せて知ってもらうための映画」という意識が無いような作り。

    2人の会話も、
    インタビュー形式ではなく、雑談の雰囲気なので、
    目的もなく話した様子を記録して散りばめた感じ。

    一方、この作品に使う「イメージ映像」のようなシーンの為に2人が演じたり、
    過去の家庭内のスナップ映像や、自宅の近所の風景をインサートすると言った
    「作り込んだ画作り」もやっている。

    カメラマンが2人を撮影し、シャルロット自身も撮影している映像もある。

    使っている機材は、ビデオカメラと16mmフィルムだが、
    どう使い分けたかは不明。

    アスペクト比は1:2だが、
    時々、人間の頭部の上側がケラレるので、
    普通にもっと縦長の画面の方が良かったと思う。

    --

    以上をまとめると、
    やはり「観客に何を知ってもらいたいか」という目的を決めて、
    それに合った表現方法をした方が良かったと思う。

    目的がまとまらないまま作り始めて編集して、
    内容も表現も散漫になったのが残念。

    --

    【基本情報の訂正】

    アスペクト比が1:1.85(アメリカンビスタ)となっているのは間違いで、
    予告編の動画の通り、
    1:2(ビスタサイズ)が正しい

    メディアタイプが「ビデオ 他」となっているが、
    具体的には、シャルロット自身が16mmカメラを回しているのが写っていて
    16mmフィルムの映像も使われている


  • 鑑賞日 2023/11/23

    登録日 2023/11/25

    評点 50


    鑑賞方法 映画館/東京都/早稲田松竹 

    字幕


    娘から母へのラブレター

    シャルロット・ゲンズブールによる母ジェーン・バーキンへのラブレター。いきなりバーキンの日本でのコンサートから映像が始まり、日本の旅館と思える場所でインタビューが始まる。ジェーン・バーキンが、ジョン・バリー、セルジュ・ゲンズブール、ジャック・ドワイヨンと結婚(事実婚を含む)し、それそれの夫との間に1人ずつ子供を産んでいると知った。映画はインタビューやシャルロットがバーキンを写真撮影しているところが主で、バーキンのパーソナル・ヒストリーが紹介されない点が物足りなかった(パンフレットで補充)。映画公開後の2023年7月16日にバーキンが亡くなった(急逝?)ので、この映画製作は結果的にぎりぎりだった。【今、彼女たちの映画を見る理由〜母と子、私たち〜:併映「それでも私は生きていく」】


  • 鑑賞日 2023/11/21

    登録日 2023/11/22

    評点 60


    鑑賞方法 映画館/東京都/早稲田松竹 


    フィクションのように美しい

    シャルロット・ゲンズブールが母親のジェーン・バーキンに向き合おうと、カメラを回したドキュメンタリー。女優である娘から見た大女優の母の美しさ、愛おしさ。
    単なる母娘ではなく、特殊な二人なので、実際に住んでいた家なども出てきて、どんな生活をしていたのか垣間見ることができる。シャルロット初監督であるが、映像表現は特に意識しておりフィクションのように美しい。二人に興味があるならおすすめです。


  • 鑑賞日 2023/09/24

    登録日 2023/10/16

    評点 65


    鑑賞方法 映画館/群馬県/シネマまえばし 

    字幕


    ただただ単純に向き合えて良かった

    母と向き合い
    撮影して
    一つの形にした。
    そこまでできて良かったと思います。

    シャルロットさんもまさかこんな早くに別れが来るとは思っていなかったでしょうが、それでもそれが向き合う前でなかった事が幸いだったと思わずにはいられません。

    母親が唯一無二の存在であることは
    意識的になのか無意識になのか
    どこかに隙間を感じてしまうのかもしれない。
    その事をしっかりクリアできた時間は
    シャルロットさんご本人にとって何よりだったと思います。


  • 鑑賞日 2023/08/07

    登録日 2023/09/09

    評点 78


    鑑賞方法 映画館/東京都/ヒューマントラストシネマ有楽町 

    字幕


    ステキな母娘

    母と娘は、親とそのこどもだったり、子どもとその母親だったり、
    友だちだったり、ライバルだったり、いろんな関係性を築くのだよなー、
    と自身と重ね合わせて、今は既に身罷っている母を思いだし、
    心がジワーんとなりながら観ておりました。
    ジェーンの表情から、シャルロットへの愛が、
    そして、そんな表情を引き出せるシャルロットの母への愛がひしひしと伝わってくる
    そんな母娘の愛に触れ、終始微笑みながら観ることができました。
    ジェーンが身罷る前に、この作品でお互いの母娘の絆を確かめることができ、
    お互いに幸せでしょう。
    優しさが溢れてる。


  • 鑑賞日 2023/08/25

    登録日 2023/09/04

    評点 70


    鑑賞方法 映画館/北海道/シアターキノ 

    字幕


    ジョン・バリーはイヤな奴だった

    セルジュ・ゲンズブール亡き後のジェーン・バーキンを娘のシャルロット・ゲンズブールが撮る、というドキュメンタリーで、2017年の東京でのコンサートから密着を始めているのが驚きでしたけど、シャルロットが自分自身の思いもさらけ出しながら、ジェーンに迫っているのが印象的で、登場はしないものの、シャルロットにとっては異父姉弟のことも語っていて、その言い方が結構赤裸々なのがなんとなくスゴくて、まあいろいろあった人生なので、いろいろな思いが溢れ出て来るのだろうと思いましたけど、シャルロットのことも、若い時にはその天性の才能と存在感に畏れを抱いていた、なんていう告白が漏れてくる辺りは、母娘インタビューならではの味わいだと思いましたし、孫たちとの関係も良好なようで、お互いに年を取って何でも言い合えるいい関係になっていったことがうかがえるのもいい感じで、ジェーンの最初の夫、ジョン・バリーのことはイヤな奴と言い切っているのも面白く、まあ初婚はジェーンが18歳の時なので、いろいろと世間知らずな部分も多かったのだろうと思いましたけど、今年の7月にジェーンが亡くなったことを思うと、シャルロットにとっても、この作品はより感慨深いものになったのではないか、と感じましたね。


  • 鑑賞日 2023/08/22

    登録日 2023/08/30

    評点 73


    鑑賞方法 映画館 



    モデルで女優で歌手。フランスのアイコンだった母と特別な存在感を見せる女優シャルロットのセルフドキュメンタリー。
    母娘ならではの距離の近さと才能のある同士のわずかな心の壁。互いの本音を探り合う感じがなんとも心をざわめかせる。

    亡父セルジュ・ゲンズブールのアトリエを二人で訪れるシーンはぐっとくる。
    この映画の公開タイミングでジェーンが亡くなるとはね。

    オープニング映像が日本だったのびっくりした


  • 鑑賞日 2023/08/24

    登録日 2023/08/26

    評点 70


    鑑賞方法 映画館/神奈川県/シネマジャック/ベティ 


    母との微妙な距離 ネタバレ

     先日たまたまジェーン・バーキンが出演した「美しき諍い女」を観ていてその直後に彼女の訃報をTVで知り驚いていたところにこのドキュメントの公開。自分の囁かな映画ライフの中での偶然のバーキン繋がりを無視することもできずに映画館へと向かう。
     「美しき~」では別に主役というわけでもなかったのだけど、画家のかつてのモデルで画家と生活をともにしながらも、今や新しいモデルに夢中な夫からは脇に追いやられ、鬱屈を抱えた妻役を印象的に演じていた。
     女優としてのバーキンはいくつか見ているのだけど、モデルであり、また歌手が本業であったことなども知らなかった。訃報を報じたテレビ番組で彼女の経歴と日本との関わりなども紹介されていた。サラッと流されることが多い俳優の訃報にしてはわりと丁寧な扱いだった。震災後に真っ先に来日しボランティア活動を行ったことや、エルメスとの関係といった映画以外の話題で知られた人だったのかもしれない。
     本作はジェーンの娘でやはり女優でもあるシャルロット・ゲンズブールの視点で撮影されたドキュメント。自身の母への思慕の念を綴った手紙のような形になっていた。
     普通の家庭環境とは違う状況での母娘関係だったと思われるふたりの微妙な距離を観ながら、ピアニスト、アルゲリッチのドキュメント映画(私こそ音楽!)との類似を感じてしまった。あの映画もやはり娘の視点で撮られた偉大な母との距離を埋める作業だったように、ここでのシャルロットも母との距離を埋めようとしている。
     普通とは違うというのは母が三度の結婚と離婚を繰り返していたこと。それぞれの夫との間に娘もおり、シャルロットは二番目のセルジュの娘。バーキンにとっては次女にあたろうか。多感な時期に両親の別れを経験したシャルロットにとっては母との関係にわだかまりがあってもおかしくないだろう。そのへんの詳しい経緯は知らないけれど映画を見ていると執拗に母の背中を追いかけているように見えるカメラワークに娘の強い思慕の念を感じることができる。
     それに比して母ジェーンの方は歳のせいもあるのか、常に遠くを見つめるような表情をしていて、娘の視線となかなか絡まらないもどかしさを感じる時があった。
     特に終盤になって長女ケイトの死に触れるあたりではもはや完全に遠くを見つめる目になっている。そんな母に娘は嫉妬を感じたろうか? 
     その遠くにいる母をなんとか自分の方に引き寄せ、一緒になりたい。その強い思いがラストの抱擁シーンを用意したのだろう。
    皮肉にも映画は母へのレクイエムのような形になってしまったけれど、それだけに最後ひとつになれたことは娘にとって大きな癒しになったのではなかろうか。