老齢の夫婦。
夫は心臓に持病。
妻は認知症。
まだ元気な時の2人の食卓の風景から一変する。
崩壊していく家庭の過程があまりにも残酷で切ない。
頼るべき息子は薬物売りをしているような前科持ちのようで
まるで頼りにならない。
その場の生活支援くらいは可能なのかもしれないが
資金面からの生活支援は…
世代間の社会構造の変化が経済格差などの格差を生んでいて
労働者として疲弊する事を拒否した者たちは
この息子のような没落、堕落を甘受するしかないのだろう。
その時に
両親世代が何かをしてやれるほど社会構造にツテがない。
だから
再起を望んでいたとしても
それを支援したいと望んでいても
何かが出来るわけではない。
その事は自分自身が無職になった経験からも感じる事。
親の世代であれば
社会が寛容で、横の繋がりがそこかしこにあって
しかも組織としての企業が発展途上にあったからか
情報戦争という言葉が存在していなかったからか
入る人出ていく人に厳しくなくて
緩やかに大きな輪があったように思いますが
今は組織ごとの小さな輪がいくつもあるばかりで
その輪は他者を受け付けない。
そんな社会にいつの間にかなってしまっていて…
それがゆえに、社会から取り残されていく夫婦と親子
病院のような場所にアクセスする事は出来たとしても
それ以外の行政サービスが遠くにあるように感じられます。
2人の生活の補助を行政がそのサービスの中でできていたなら
こんな風に残酷で切ない終焉を迎える事もなかっただろうに。
もちろん、夫であり父である彼が支援を拒絶しているような所はあったのだけれど…
人々が作り上げて維持してきた社会構造が
人々を切り捨てているような気がしてならないです。
それで良いのでしょうか?