福岡県八幡市(現・北九州市)の生まれ。少年時代は漫画家志望だったが、東海大学付属第五高校在学中の1978年、曽根中生監督「博多っ子純情」の出演者公募を受けて、主役の中学生に抜擢される。この現場で映画に魅かれ、高校卒業後に上京。本格的に俳優として活動を始め、山田洋次監督「男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花」80、相米慎二監督「セーラー服と機関銃」81などに出演する。83年の栗本富夫監督「いとしのラハイナ」では準主役をつとめ、テレビドラマ版のTBS『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』82、『スチュワーデス物語』83、NHK連続テレビ小説『おしん』83などのテレビドラマに出る機会にも恵まれる。しかし、朴訥な味を出せる機会が次第に減り、90年の結婚前後は雌伏の時を過ごす。危機感を持って勉強したこの時期が、のちの糧になったという。転機は96年の青山真治監督「Helpless」。狂気の行動に走る隻腕のやくざを演じて再び注目を集め、「ピーター・グリーナウェイの枕草子」96など外国映画のキャストにも選ばれる。岩井俊二作品にも常連俳優として続けて出演し、同世代の作家が台頭するのとともに映画に溶け込む質の実力が開花する。ことに、2000年代以降は膨大な数の映画、テレビドラマに出演。悪人に哀れさを、優しい善人には翳りを絶妙に含ませて役を膨らませる屈指の脇役俳優となる。11年の石井裕也監督「あぜ道のダンディ」では、デビュー作以来となる映画単独主演。ぎこちない父親の愛情を好演して、話題と評判を呼んだ。