社会運動が高揚していた1970年代の日本。新左翼過激派集団・東アジア反日武装戦線“さそり”のメンバー、桐島は連続企業爆破事件の犯人として指名手配され、いつ逮捕されるかわからない緊張感のなか、逃亡を続けていた。生活を繋ぐために日雇い仕事を転々とし、1980年頃から「内田洋」という偽名を使い、神奈川県藤沢市内の工務店で住み込みの仕事に就くようになる。1960~70年代のブルースやロックを好み、月に一度、音楽好きが集まる藤沢市内のライブバーに足を運んでいた桐島。そんな趣味を楽しむ一面があったものの、かつての仲間たちの存在が常に脳裏に影を落としていた。メンバーの獄中闘争、超法規措置により国外に出る仲間たち、自ら命を絶った者……。桐島はそうした仲間たちの姿を思い浮かべながら、日本社会の欺瞞や凋落を孤独に見つめ続けていたのだった。そして2024年、70歳となった桐島は末期がんと診断され、病院のベッドで生死の狭間を彷徨う。薄れる意識の中で浮かんでくるのは、東アジア反日武装戦線としての活動、仲間と逃亡を続けていた当時の記憶……。彼が生涯を賭けて追い求めたものは何だったのか。半世紀にわたる逃亡生活の果てに彼は何を得ようとしたのか。死の間際、「私は桐島聡です」と名乗り出て、彼は何を表現しようとしたのか……。