生家は織物会社。都立日比谷高校を経て東京大学文学部美学美術史科を55年卒業とともに東宝入社、文芸部勤務。同年11月撮影所製作係、56年12月同演出助手。黒澤明「どん底」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」、堀川弘通「別れて生きるとも」、成瀬巳喜男「妻として女として」ほか古沢憲吾、丸山誠治作品などにつく。スキューバー・ダイビングが趣味で、66年東宝水中撮影班設立に参画、67年「南太平洋の若大将」水中撮影部分の演出を担当した。68年大阪万国博政府館プランニングに参加、69年同三菱未来館の映像・音響担当。70年11月監督昇進、東宝契約監督となる。71年「ゴジラ対ヘドラ」でデビュー。以後、記録映画「残酷飢餓大陸」(73年東映ほか)、テレビ東京『美女の海底冒険』、日本テレビ系の日本映像記録センター作品『サンゴ礁の冒険王ベン・クロップ』『クジラの背に乗って』『紅海探検・サメと珊瑚礁』などを73年から77年の間に演出、沖縄海洋博の映像出展も担当した。78年東宝関連会社の東宝映像企画部長、85年5月同取締役に就任し現職にあるが、同年つくば科学万博政府出展テーマ館、同健康スポーツ館で自ら開発にかかわった70ミリ/m8P巨大映像『ジャパックス』を上映、88年ぎふ中部未来博でも出展上映を担当するなどビッグ・イベントの映像制作に実績を重ねている。66年2月24日結婚、一男あり。2017年5月7日クモ膜下出血で死去。