【舞台出身の文芸映画の巨匠】トルコのコンスタンチノープル(現イスタンブール)生まれ。両親とともに幼い頃アメリカに渡る。イエール演劇学校を卒業、グループ・シアターに役者として舞台に立ち、また演出家として『欲望という名の電車』『セールスマンの死』『熱いトタン屋根の猫』で批評家賞を受賞、『お茶と同情』『青春の甘き香り』などで一流の演出家としての地位を築いている。この間の1934年にメンバーとともに短期間、共産党に入党している。このことが、戦後“赤狩り”で追求されたときに問題となる。44年、20世紀フォックス社に入社、「ブルックリン横町」(45)で本格的に監督デビュー。「影なき殺人」(47)は町の人々の信頼が篤い神父の殺人をめぐるサスペンスを描いたもの、「紳士協定」(47)は反ユダヤ主義を弾劾すべくユダヤ人になりきったライターの闘いを描いた問題作で、アカデミー賞作品賞、監督賞、助演女優賞を受賞。51年の「欲望という名の電車」は、テネシー・ウィリアムズの舞台劇の映画化で、自ら舞台演出もしたカザンが、アルコール依存症の姉をめぐっての陰惨な人間関係を描く。これもアカデミー賞の主演女優・助演男優・女優賞を獲得。49年頃からハリウッドでは左翼映画人の排斥運動が激しくなり、52年に赤狩り(共産党員の摘発)の第2回聴聞会に召還されたカザンは司法取引をして、11人の仲間の名前を挙げた。その中にはリリアン・ヘルマン、ダシール・ハメットの名前もあった。この告発行為は、後の彼の経歴と作風に暗い影を落とすことになるのである。【青春映画の秀作「波止場」「エデンの東」】54年の「波止場」は、やくざに牛耳られる港湾労働者組合に単身挑む男を描くもので、アカデミー賞作品賞・監督賞など8部門という大量受賞。そして、ジェームス・ディーンの主演デビュー作で、青春映画の永遠の名作「エデンの東」(55)を撮る。カザンはリー・ストラスバーグとともにアクターズ・スタジオを開設し、スタニスラフスキー演技の指導者として知られているが、この研究所から「波止場」のマーロン・ブランド、そしてディーンと2人の大物を輩出したことによりハリウッドに新風を巻き起こした。「草原の輝き」(61)は若者の愛とセックスを通して青春の光と影を描いた青春映画の佳作。カザンの小説の映画化「アメリカ アメリカ」(63) は、渡米の夢を追い続けるギリシャ青年の執念を、渾身の粘りで描いた3時間弱の大作。続いての自作小説の映画化である「アレンジメント・愛の旋律」(69)は、交通事故にあった広告マンが人生を見つめなおすという、「アメリカ アメリカ」の続編とも言うべき一編。そして遺作となった「ラスト・タイクーン」(76)は、1930年代のハリウッドの内幕を赤裸々に描いた内幕ものである。以降、監督としては実質的に引退する。99年、アカデミー賞名誉賞を受賞。