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寺山修司

  • Shuji Terayama
  • 脚本/監督/原作/音楽
本名
出身地 弘前市紺屋町
生年月日 1935/12/10
没年月日 1983/05/04

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略歴

【あり余る才能を複数の分野で発揮し続けた異能】青森県弘前市の生まれ。10歳の時に父が戦病死し、1949年、青森市で映画館を経営する親戚に引き取られて、高校卒業までをスクリーン裏の20畳の楽屋で過ごした。それ以前から映画少年であった寺山は、同時に俳句や詩作にも興味を持ち、54年に早稲田大学教育学部に入学したのち第2回短歌研究新人賞を受賞するなど、すでに寺山の名は天才歌人として知れ渡っていた。大学は1年足らずで中退し、59年、詩人・谷川俊太郎の勧めでラジオ・ドラマの台本を書き始めると、投稿した『中村一郎』が民放大賞を受賞。60年には長編戯曲『血は立ったまま眠っている』を劇団四季が上演し、自らも“ジャズ映画実験室”を組織して16ミリ映画「猫学 Catlogy」を演出するなどした。同年、篠田正浩の「乾いた湖」のシナリオを執筆し、自らも出演。この時、SKD出身の女優・九條映子と出会っている。以後も「夕陽に赤い俺の顔」、「涙を、獅子のたて髪に」などの篠田作品や、羽仁進の「初恋・地獄篇」の脚本を担当したが、寺山の才能はひとつのジャンルに留まることを知らず、67年には演劇実験室“天井桟敷”を設立して演劇界での本格的な活躍を始める。この間の63年に九條と結婚。のち70年に離婚はするが、九條は寺山の理解者として最後までその創作活動を支えた。70年、16ミリ長編「トマトケチャップ皇帝」を監督。大人の世界に対する子供たちの反乱を描き、ツーロン映画祭審査員特別賞を受賞した。初の35ミリ劇場用映画となった「書を捨てよ町へ出よう」(71)は、撮影所全盛の時代が終わりつつあった日本映画界に新風を吹き込む衝撃作となり、74年には映画による自叙伝とも言うべき「田園に死す」を発表して、映画界での評価を決定的なものにする。【創作に殉じた47歳の早すぎる死】以降も前衛的な長・短編を16ミリで撮り続ける一方で、77年には東映で菅原文太、清水健太郎主演の「ボクサー」を監督。商業映画においても寺山らしさを貫き、翌78年の東陽一監督「サード」の脚本も絶賛された。演劇同様、豊饒なイメージと日本的な色彩が強烈な寺山ワールドはむしろ海外での評価が高く、三上博史のデビュー作として知られる「草迷宮」(79)、倒錯的な性体験を描いた「上海異人娼館/チャイナ・ドール」(84)はいずれもフランス資本で製作されている。82年、ガルシア・マルケスの“百年の孤独”を下敷きにした長編映画「さらば箱舟」を監督するが、原作者の了解を得られず二転三転の末、寺山オリジナルの作品として完成を見た。当時、寺山は入院の必要があったがこれを押して撮影を強行。翌83年5月に肝硬変のため47歳の若さで死去した。遺作となった「さらば箱舟」は84年に劇場公開されている。

キネマ旬報の記事

2013年9月上旬号

光華抄~映画人を偲んで:第4回 寺山修司歿後30年、中川信夫「酒豆忌」、長門勇

2008年5月下旬号

映画専門チャンネル「没後25年 映画作家・寺山修司とATG」放送記念:寺山修司、25年間の不在。しかし、その挑発は終らない

2008年5月上旬特別号

見逃してはいけない@スカパー!:「それぞれのシネマ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~」「野。良犬」『没後25年「映画作家・寺山修司とATG」』

1993年5月下旬号

特集 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Part2:〈寺山修司〉を生きれば、遊びの領域が広がる 対談 三上博史×榎戸耕史

特集 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Part2:「ビデオ・レター」作品評

特集 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Part2:寺山修司没後10年関連イベント

1992年11月上旬号

巻頭企画 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Shuji Terayama Revisited:対談 篠田正浩×三浦雅士

巻頭企画 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Shuji Terayama Revisited:「同時代者」としての寺山修司

巻頭企画 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Shuji Terayama Revisited:寺山修司過剰なる現在形

巻頭企画 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Shuji Terayama Revisited:思い出の寺山修司

巻頭企画 幻惑の〈寺山修司〉再訪 Shuji Terayama Revisited:短篇映画フィルモグラフィー

1984年10月上旬号

「寺山修司を記述する試み」報告:

1983年12月下旬号

特別寄稿:寺山修司の遺作「さらば箱舟」をみて

1983年6月下旬号

〈特別グラビア〉:故・寺山修司監督作品集

追悼:さよなら寺山修司さん

1979年11月上旬号

映画「草迷宮」の出来るまで:

1977年10月上旬秋の特別号

フロント・ページ:

1975年12月上旬号

地球をしばらく止めてくれ ぼくはゆっくり映画を観たい:二つの映画祭紀行

1975年1月上旬新年特別号

わが映画第二作「田園に死す」:

1974年12月下旬号

グラビア:寺山修司監督 「田園に死す」

1974年8月下旬号

プロフェッショナル:寺山修司

1973年2月下旬号

〈鼎談〉 革命の映画より映画の革命を!:寺山修司×斎藤正治×白井佳夫

1972年3月上旬号

特別ディスカッション 「続・私は好奇心の強い女」という映画がもつ意味をめぐる論争:寺山修司×金坂健二×河原畑寧

1971年5月下旬号

特別対談 君は映像の可能性を信じているのか?:寺山修司×篠田正浩

1971年4月上旬春の特別号

特別グラビア:寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」

顔と言葉:

シナリオ2:書を捨てよ町へ出よう

シナリオ2:書を捨てよ町へ出よう

1969年4月上旬春の特別号

顔と言葉:

1968年5月下旬号

作品特集 「初恋・地獄篇」「首」:羽仁進監督「初恋・地獄篇」 羽仁進と寺山修司の涙

1965年9月上旬号

なくて七癖:24 篠田正浩の巻

1965年7月上旬夏の特別号

シンポジウム スターの私生活と芸能ジャーナリズム:草柳大蔵(評論家)×寺山修司(詩人・シナリオ作家)×小倉友昭(日刊スポーツ)×浜田新一(法政大学教授)

1961年7月上旬夏の特別号

特別講座 映画とテレビのシナリオ:3 シナリオとテレビ・ドラマの基礎 声の設計・セリフ考

1961年3月下旬号

現代をえがく新しいシナリオ:第一線新鋭シナリオライター座談会 白坂依志夫×山田信夫×寺山修司×安藤日出男×寺田信義