1944年8月25日未明のパリ。リヴォリ通りに建つホテル ル・ムーリスに、パリ防衛司令官ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍(ニエル・アレストリュプ)率いるナチス・ドイツ軍が駐留していた。そこへ、アメリカ・イギリス・自由フランス軍からなる連合軍が防衛線を突破し、パリ市街に接近中との電報が届く。活気づくレジスタンス。ドイツの敗北は時間の問題。ヒトラー総統が計画した“パリ壊滅作戦”を実行するための作戦会議が始まった。だがそれは、ベルリンが廃墟と化した今、パリだけが輝いているのは許せないという嫉妬心から出ただけの、戦略上何の意味もない壊滅作戦だった。爆破箇所は、ポンヌフを除く市内33本すべての橋、ノートルダム大聖堂、ルーヴル美術館、オペラ座……。地図を広げ、建築技師の説明を聴くコルティッツ。会議が終わり、コルティッツが独りで部屋に残っていると、パリで生まれ育ったスウェーデン総領事ラウル・ノルドリンク(アンドレ・デュソリエ)が停戦の提案に現れる。司令官として総統命令に服従しなければならないコルティッツと、自身の故郷でもあるパリを破壊から守りたいノルドリンクの駆け引きが始まる。そこへ、ベルリンから“ルーヴルの絵を保護してベルリンに運べ”と、戦局とは全く関係ない指令が届く。さすがに憤りを感じたコルティッツは、ヒトラーが公布した親族連座法“ジッペンハフト”によって、自分が命令に従わなければ、家族が処刑されてしまうという事情をノルドリンクに打ち明ける。コルティッツは、少しずつ軍人としてではなく、1人の人間として対話に応じるようになってゆく。やがて、パリ郊外に米軍が入ったという一報がもたらされると、一気に情勢が動き始める。ノルドリンクはコルティッツに、家族を国外逃亡させるよう持ちかけるが、逃げればゲシュタポに追われる、とコルティッツは拒否。もはや万策尽き果てたかと思われたその時……。