福岡県大野城市の生まれ。県立筑紫丘高校3年生の時に、つかこうへい作・演出『熱海殺人事件』の福岡公演を観劇して衝撃を受け、俳優を志す。早稲田大学第二文学部哲学科に進学すると同時に演劇研究会に入部。勉学そっちのけで稽古や公演の準備に追われる日々が始まる。1982年、同演劇研究会の1アンサンブルであり鴻上尚史が率いる劇団第三舞台に参加。早大大隈講堂裏特設テント『電気羊はカーニバルの口笛を吹く』82、『リレイヤー』83、新宿・紀伊國屋ホール『朝日のような夕日をつれて'85』85などに出演する。84年、1学年先輩の安田雅弘が第三舞台を脱退し新しいアンサンブルを立ち上げる際に誘いを受け、山の手事情社の旗揚げに参加。『Bombay Blood/覚書』84、『風通しのよいカメレオンレポート・季節が変わるように、俳優修行。』89などに出演する一方で、大/早稲田攻社、ZAZOUS THEATERなどへの客演も盛んに行ない、80年代の小劇場ブームの一端を担う存在となった。しかし、山の手事情社内で後輩が増えると、次第に先輩としての立場に窮屈さを感じるようになり、90年よりフリーに。そこへ、劇団を解散してしばらく演劇から離れていたつかこうへいから声がかかり、91年の『熱海殺人事件/ザ・ロンゲスト・スプリング』に出演。舞台役者として大きく飛躍を遂げ、以降、第三舞台、劇団☆新感線などへの客演を中心に、さらに精力的に活動を続けた。舞台で活躍する一方、映像の分野にも進出し、93年の鹿島勤監督「悪役パパ」では、内藤剛志扮する悪役専門俳優の後輩という役どころで映画初出演を果たした。テレビドラマもNHK『春よ、来い』95、『山田風太郎・からくり事件帖』01、テレビ朝日『ふたり』97、フジテレビ『合い言葉は勇気』00、TBS『吾輩は主婦である』06など多数があり、少ない出番でも強烈な印象を残している。舞台を中心に、気の弱いお調子者、明るい裏切り者、だらしない浮気者の役などを得意とし、起伏激しい演技で多数の作品を彩る一方、パルコ劇場『Vamp Show』01、『49日後…』08などでは自ら演出も手がけている。