【エンタテインメント映画の愉しさを追求する娯楽作家】東京都渋谷区の生まれ。高校時代から8ミリ映画を撮り始める。監督を志望するが映画界の当時の斜陽化を考えて東京学芸大学小学校教員養成過程国語学科に進む。在学中は教育実習を経験しつつ、8ミリ製作も継続。映像芸術研究会に所属し、直接の先輩に押井守がいた。難関だった日活に合格、1978年に助監督として入社し小原宏裕、森田芳光らにつく。84年、「宇能鴻一郎の濡れて打つ」で監督デビュー。明朗な喜劇タッチで注目される。森田の助監督をつとめつつロマンポルノを2本手がけ、85年、「みんなあげちゃう.」で一般映画に進出。同年にっかつを退社。88年にはコメディ「山田村ワルツ」、ロマンポルノ終焉への惜別を込めた「ラスト・キャバレー」、「1999年の夏休み」の3作を発表し、ヨコハマ映画祭監督賞。少年たちの幻想的な愛憎劇を若い女優が演じた「1999年の夏休み」はニューヨーク近代美術館の“ニュー・ディレクター・ニュー・フィルムズ”に選出される。89年、中山美穂と宮沢りえ出演「どっちにするの。」がヒット、アイドルの企画ものを高品質に仕立てるエンタテインメント作家としての評価を確立する。95年、「ガメラ・大怪獣空中決戦」で愛着の深い怪獣映画を現代的に再生・発展させ、ジャンル色を越えた評価を集めてブルーリボン監督賞。続く「ガメラ2・レギオン襲来」(96)は映画初の日本SF大賞を受賞し、さらにスケールを拡げた「ガメラ3・邪神〈イリス〉覚醒」(99)で3部作を完結。その実績により「ゴジラ・モスラ・キングギドラ/大怪獣総攻撃」(01)を監督、ゴジラとガメラ両方を手がけた唯一の監督となる。以降も「恋に唄えば♪」(02)、「デスノート」2部作(06)、「プライド」(09)、「ばかもの」(10)などを送り出す。【あらゆるジャンルで結果を出す手腕】デビュー作をはじめとする初期の作品で、パロディやコメディを介すれば美少女とエロスは同居し得ることを証明、サブカルチャーの土壌を育てた先駆者の一人である。以来アイドル、怪獣、SF、時代劇に漫画原作とあらゆるジャンルの題材を常に水準以上の娯楽作に仕上げ、ほかの監督作品の続編、テレビシリーズなどにも柔軟に対応。新人女優の魅力を的確に引き出す手腕は一貫して評価されており、作り手側の意見を伝える文才も豊か。一方で自身の企画を何年もかけて進める粘りを持ち、例え中断しても持ち込まれた企画に活かし、職責を全うしつつ自分の歌を奏でる術に長けてきた。長いブランクも無ければ気の緩んだ駄作もほぼ皆無という驚異的経歴の背景には、撮影所時代に培ったプログラム・ピクチャーの方法論を自覚的かつ戦略的に実践してきた明晰さと、映画やテレビ、漫画に没頭した少年時代の憧れを忘れない初心がある。