【世界へ羽ばたいたニュージーランド映画界のヒットメーカー】ニュージーランド、ウェリントン郊外のプケルア・ベイの生まれ。8歳の時に親の友人から8ミリカメラを買ってもらったことで、映像に熱中するようになる。友人たちと撮り始めた短編作品は、のちのジャクソンのトレードマークとなる派手な(しかし金のかかっていない)特撮場面が満載だった。ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」(77)に熱中し、ラルフ・バクシ監督のアニメ版を観たことからトールキンの『指輪物語』を読破する。1983年に友人たちと中古品の安物カメラで撮り始めた自主映画「バッド・テイスト」(87)を、映画業界で働く友人の計らいでカンヌ映画祭に出品し注目を浴びる。同作が興行的にも成功を収めたことからジャクソンは勤めていた写真店を辞め、映画作りに専念するようになった。 血まみれの人形劇「ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス」(89)に続いて発表したゾンビ喜劇「ブレインデッド」(92)が大ヒット作となり、過剰なゴア趣味で逆にユーモアを感じさせる異才としてイメージが固まりかかるが、次に少女たちの空想の世界を幻想的に描いた「乙女の祈り」(94)を発表して米アカデミー賞の脚本賞にノミネートされるなど、作家としての幅を見せることに成功した。ハリウッドに招かれて撮った「さまよう魂たち」(96)は成功とは言い難かったものの、そのまま念願だった「キング・コング」のリメイクに着手。しかし、この企画が頓挫したことから『指輪物語』を映画化する「ロード・オブ・ザ・リング」3部作(01~03)に取りかかる。第1作が大ヒットを記録するとともに批評的にも成功を収め、最終作の「王の帰還」はアカデミー賞11部門にノミネートされると、そのすべてを受賞するという快挙も成し遂げた。【異形の者たちの王(ロード)】ニュージーランド映画とハリウッドを往還し活動を続ける越境監督。その作品世界は、徹底したスプラッター描写に満ちた初期作品にせよ、耽美的な「乙女の祈り」にせよ、超大作「ロード・オブ・ザ・リング」、あるいは執念で実現させた「キング・コング」(05)にせよ、異形の者の哀しみというテーマ、そして現世と来世との隔たりがテーマとして共通している。人間と人間以外の存在との争いや友情、時には恋愛も描かれ、此方と彼方に隔てられた存在が求め合う悲しさと美しさが追求される。このことは犯罪の被害者となった娘が天国から家族を見守るという「ラブリーボーン」(09)にも当てはまり、「ミート・ザ・フィーブルズ」以降のすべての作品を共同執筆している妻フランシス・ウォルシュの影響も考えられる。低予算の自主映画で金のかからない特撮を開拓したジャクソンの探求心は、最新のテクノロジーを追究した近作にもそのまま注ぎ込まれ、この世のものならぬ独自のビジョンをスクリーン上に現出させるためには努力と出費を惜しまない完璧主義者でもある。