東京市豊島区西巣鴨(現・東京都豊島区西巣鴨)の生まれ。戦時中は茨城県に疎開し、戦後は東京都北区滝野川で育つ。小学生の頃から児童合唱団に入り、童謡などをレコーディング。1957年、松竹音楽舞踊学校入学。60年、首席で卒業と同時に松竹歌劇団(SKD)13期生となり、同年の初舞台『東京踊り』で初代バトンガールをつとめる。61年、中村登監督にスカウトされて松竹と専属契約を結び、同監督の「斑女」の家出娘役で映画初出演。続く井上和男監督「水溜り」の女子工員、五所平之助監督「雲がちぎれる時」のバスガール役が好評で、松竹大船の正統人情ものである番匠義彰監督「花嫁」シリーズに主演する。2年目の62年には期待の新スターとして13本の映画に出る一方、キングレコードから歌手デビュー。『下町の太陽』が大ヒットしてレコード大賞新人賞を受賞し、同曲が原案の山田洋次監督「下町の太陽」63に主演。共演の勝呂誉とともに“サニー・カップル”と売り出される。演じたのは荒川近辺の化粧品工場で働きながら愛や人生を真摯に考える娘・町子。清潔感あふれる好演は、デビュー以来の庶民的で健気なイメージの集大成といえるもので、これが長篇初監督の山田洋次にとっても市井の人々の幸福とは何かを追求する作風のスタートとなる。勝呂誉との「女嫌い」64や歌手・橋幸夫との共演作など明朗青春映画に出演しつつ、中村登監督「二十一歳の父」64での盲目の娘、山田洋次監督「霧の旗」65での兄の復讐をする妹など難しい役が増え、女優として着実に成長。67年には実妹・倍賞美津子のデビュー作「純情二重奏」で共演する。さりげない演技で生活感を表現できる天性の資質に特に信頼を寄せたのが山田監督で、ハナ肇主演の一連の喜劇に66年の「運が良けりゃ」「なつかしい風来坊」から続けて出演。69年、フジテレビのドラマの映画化である「男はつらいよ」では、主人公・車寅次郎の異母妹・さくらを演じる。共演は「あいつばかりが何故もてる」62、「白昼堂々」68などで気心の知れていた渥美清。映画はヒットして立て続けに続編が作られ、毎回ほぼ不動のレギュラーが寅次郎の恋の相手=マドンナを迎えるパターンが定着。第8作「寅次郎恋歌」71より新作をお盆と正月に届ける年2本のサイクルが定着し、日本映画を代表する名物シリーズに発展する。当初の仮題が『愚兄賢妹』だったように、気ままな旅暮らしの寅次郎を心配しながら見守る家庭的なさくらは一方の主人公であり、渥美が「さくらは菩薩です」と端的に評した通りの理想化された女性。一時はタイプの違う自身とのギャップに悩んだものの、やがて分身以上といえる存在になったという。北海道に移住する九州の炭鉱離職者家族の母親を演じて絶賛された「家族」70以来、「故郷」72、「同胞」75と山田監督が「男はつらいよ」と並行して手がけたオリジナル路線にも続けて起用される。出所した高倉健の帰りを待つ妻を演じた「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」77は爽やかな涙を搾る名品となり、「遙かなる山の呼び声」80で再び高倉と共演。地に足の着いた大人の恋を細やかに見せる高倉との黄金コンビは、倉本聰脚本のTBS『あにき』77と降旗康男監督「駅/STATION」81でも実現。この間にキネマ旬報賞、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールなど主要な女優賞をほとんど獲得する。86年には妹の美津子と本格的に共演した神代辰巳監督「離婚しない女」、神山征二郎監督「旅路・村でいちばんの首吊りの木」の2本で烈しい気性の女を演じて新境地を見せる。私生活では75年から加わった舞台『屋根の上のバイオリン弾き』で共演した小宮守と76年に結婚するが、80年に離婚。93年に作曲家の小六禮二郎と再婚した。世界でも稀な長期シリーズとなった「男はつらいよ」は90年より年1本公開となり、第48作「寅次郎紅の花」95を最後に終了。その後は山田作品の助演や、NHK連続テレビ小説『すずらん』99など以外は、根強い支持のあった歌手活動が中心となるが、宮崎駿監督「ハウルの動く城」04ではヒロイン・ソフィーの18歳から90歳までの声をチャーミングに演じ切って好評を博す。近年も真田敦監督「ホノカアボーイ」09、阪本順治監督「座頭市 THE LAST」10と貫禄のある助演が続いている。