昭和43年。覚醒剤を主とする密輸品は、古くから関門海峡の周辺を密輸基地に陸揚げされ、日本全国の暴力組織に捌かれていた。その莫大な利権をめぐって対立する大和田組と共栄会の二大組織があった。大和田組幹部・楠鉄弥は、親分・大和田徳次の命で、流れ者・黒田修次、組員・須川とともに、共栄会々長・正木を襲撃、黒田は自から単独殺人を認め殺人罪で刑務所へ収監、10年の刑を受けた。共栄会は組長の死以後、崩壊し、大和田組は勢力を拡大した。大和田の娘・美沙子を妻にした楠の面会がとだえてから七年、黒田は仮出獄した。黒田はその足で楠を訪ねたが、楠はヒロポン中毒になっていた。一方、大組織化した大和田組にも派閥ができた。相原、赤松、井関、高山、郷田の各幹部である。久しぶりに大和田と対面した楠は黒田の懲役慰労金として五百万円要求するが、その気のない大和田は逆に楠を破門した。そこで楠は黒田とともに大和田の妾宅を襲い、大和田と品子を脅迫、五百万円出すことを約束させた。数日後、相原は黒田にヒロポンを渡し、赤松組の縄張り内で売るように依頼した。赤松組の了解を得ているということで、黒田は舎弟分の志村と笹木に商売をさせたのだが、赤松組組員と乱闘事件を起こした。そして、この報復として笹木が赤松を刺殺、自分も殺されてしまった。これは、相原が大和田組から独立を企でていた赤松を抹殺するためにしくんだものだった。その相原は、秘かに、大阪の野崎組の後押しで、大和田組の二代目を狙っている。数日後、大和田組の幹部会が開かれ、大和田は二代目として井関を推した。そしてその場で、黒田との親子の盃、井関・黒田の兄弟分の盃もかわされた。怒った相原は、楠に、大和田が楠を狙っており、美沙子を黒田の妻にするらしい、とそそのかした。相原の言葉を信用した楠は、大和田を射殺した後、精神異常者として病院に運ばれた。大和田の通夜の日、井関らの前で、野崎は二代目として相原を推した。強力な組織を持つ野崎に、井関は従がわなければならなかった。相原は、井関に黒田殺しを要求した。兄弟分を殺すことはできぬ、と井関は所払いを願いでた。全てを知った黒田は、組のバッヂを投げ捨て、相原の首を殺ることを決意。二代目襲名の挨拶廻りのために、相原、井関たちは、大阪へと向かった。その後を、黒田、志村、須川が追った。“組長の首”を殺りに……。