原発事故から8年が経過しようとする現在。“フクシマ”は、多くの人々から“終わったこと”として忘れ去られようとしている。2020年の東京オリンピックに社会の関心が集まるにつれ、その傾向は強まっている。福島の為政者たちも、“風評被害の払拭”、“復興”の名の下に、“フクシマ”の現実を覆い隠そうとしているかのように見える。しかし、原発事故で人生を狂わされ、夢や未来を奪われ、かつての家族や共同体の絆を断ち切られ、“生きる指針”さえ奪われた被災者たちの“生傷”は癒えることなく、今なお疼き続けている。だがそれは、平穏に戻ったかのような今の福島の光景からはなかなか見えてこない。その“生傷”を可視化する唯一の手段は、被災者たちが語る“言葉”。この映画では、その“言葉”の映像化を試みた。