東京都世田谷区の生まれ。父は国際政治学者の桃井真、脚本家の桃井章は長兄。幼時からバレエを習い、小学校卒業後にロンドンのロイヤル・バレエ・アカデミーに留学。1968年に帰国して、女子美術大学付属高校デザイン科に進む。71年、文学座附属演劇研究所11期生となり、同年、市川崑監督「愛ふたたび」で映画初出演。さらに田原総一朗・清水邦夫共同監督のATG「あらかじめ失われた恋人たちよ」のヒロインに抜擢され、無断で女優になったため厳格な父から一時は勘当される。72年に文学座を退団。藤田敏八監督「赤い鳥逃げた?」73と日活ロマンポルノの「エロスは甘き香り」73で注目を集めたのち、神代辰巳監督「青春の蹉跌」74で、萩原健一演じる大学生の重荷になる登美子役に起用される。ふたりが雪山をさすらう場面の行き場のない哀感が鮮烈な印象を与えた。神代との出会いで女優を続ける意志を固め、以降も「櫛の火」「アフリカの光」75に出演。黒木和雄監督「竜馬暗殺」74では石橋蓮司扮する中岡晋太郎の愛人、長谷川和彦監督「青春の殺人者」76では主人公・水谷豊の同窓生役。当時は既成の型を逸脱した俳優が次々と登場しており、その時代の空気を倦怠感に満ちた演技でヴィヴィッドに体現する。テレビドラマでの活躍も早く、早坂暁脚本のNHK『たった一人の反乱』『天下堂々』73、倉本聰脚本のTBS『幻の町』75、日本テレビ『前略おふくろ様』75~77、山田太一脚本のTBS『それぞれの秋』73、NHK『男たちの旅路』76~77など、ドラマ黄金期を牽引した人気脚本家の代表作に次々と出演。特に『前略おふくろ様』でのトラブルメーカー“恐怖の海ちゃん”の怪演と最終回のしおらしい変貌は、アウトロー女優の本来の幅と素養を証明するに充分だった。77年、山田洋次監督「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」に出演。刑期を終えた男(高倉健)とお調子者の青年(武田鉄矢)と一緒に北海道を旅する娘役。今ふうのようで実は繊細な娘の優しさを丁寧に演じて、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞などの助演女優賞を受賞する。ここから一気にステージが拡がり、79年は、東陽一監督の青春映画「もう頬づえはつかない」と前田陽一監督の人情喜劇「神様のくれた赤ん坊」79の2本で、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞などの主な主演女優賞を独占。さらに黒澤明監督「影武者」80、今村昌平監督「ええじゃないか」81、野村芳太郎監督「疑惑」82など、出演作が軒並み代表作となる圧倒的活動が続く。殺人容疑の猛女を火の出るような迫力で演じた「疑惑」で、イタリア・カトリカのミステリー映画祭で主演女優賞。日本テレビ『ちょっとマイウェイ』79~80、『ダウンタウン物語』81、松田優作と共演のフジテレビ『熱帯夜』83など、テレビドラマでも強烈な個性を発揮する。85年、恩地日出夫監督「生きてみたいもう一度・新宿バス放火事件」で大火傷を負った被害者女性の苦悩と再起を熱演。この年に主人公を演じた早坂暁脚本のNHK『花へんろ・風の昭和日記』は、97年まで断続的にシリーズ化された。88年は滝田洋二郎監督「木村家の人びと」の過剰な貯蓄に邁進する主婦、久しぶりの神代作品「噛む女」では夫との関係が冷めた妻、黒木和雄監督「TOMORROW/明日」のつつましい戦時の女性と三様の女性を見事に演じ分け、再びキネマ旬報賞とブルーリボン賞の主演女優賞を獲得する。以降は、主に貫禄を効かせた助演に回りつつ、オムニバス「ご挨拶」91の一篇を監督するなど幅広い活動も見せた。それでも若松孝二監督「われに撃つ用意あり」90、市川準監督「東京夜曲」97など主要作に途切れはなく、常に余裕たっぷりに見える自身のイメージを厳しい演技への姿勢によって磨き上げる。新たな転機はロブ・マーシャル監督「SAYURI」05の、チャン・ツィイーの“おかあさん”役。アレクサンドル・ソクーロフ監督「太陽」05ではイッセー尾形と昭和天皇・皇后役で共演し、反響を呼ぶ。日本ではトップでもハリウッドではオーディションに落ちる新人扱いの落差を良き刺激として、2006年にアメリカの映画俳優組合に加入。主演を兼ねた家庭劇「無花果の顔」06で長篇映画初監督もつとめ、独創的な演出でベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞などを獲得した。俳優最年少で紫綬褒章を受章した08年には、出世作のハリウッド・リメイク版「イエロー・ハンカチーフ」に出演。国際派女優となった今、尖った個性はさらに輝きを増している。