【世界の作り手たちを魅了するインディーズの申し子】東京都渋谷区の生まれ。14歳で8ミリ映画を撮り始め、高校在学中に日本テレビ主催のフィルム・フェスティバルで入選した経験を持つ。日本大学芸術学部在学中は劇団を主宰。1982年に大学を卒業すると、CF制作会社に就職しCMなどを手がけるが4年で退職する。この間の85年に劇団“海獣シアター”を結成し、3本の芝居を興行した。86年「普通サイズの怪人」で8ミリ映画製作を再開。87年に製作した「電柱小僧の冒険」が、この年よりコンペティション形式となったPFFアワード88でグランプリを獲得する。引き続き少数スタッフ・低予算により16ミリで撮られた「鉄男」は89年に単館レイトショー公開となったうえ、ローマ国際ファンタスティック映画祭のグランプリを獲得し、国際的な評価を得た。初の35ミリ商業用作品「ヒルコ・妖怪ハンター」(90)を経た92年の「鉄男II/BODY HAMMER」は、世界40以上の映画祭へ招待され、50年代以降日本映画が遠ざかっていた海外映画祭への再進出の礎を築いた。97年にはヴェネチア映画祭の審査員をつとめ、「六月の蛇」(03)以後の諸作もおおよそが海外の映画祭に招待・出品されている。また俳優として、大谷健太郎の「とらばいゆ」(01)や清水崇の「稀人」(04)など、自作以外の作品にも多数出演している。【自主製作で追求される“都市と肉体”】80年代に商業監督の登竜門となったPFFの出身者として劇場デビューを果たした塚本は、次にフリーの職業監督になるという通常過程を踏まず、企画・脚本・撮影・美術・編集・出演も兼ねるワンマンな自主製作スタイルを今日まで崩していない。中には「ヒルコ」や「双生児」(99)のような雇われ作品もあるが、もとより諸星大二郎や江戸川乱歩の原作は塚本世界と親和性が高く、これら商業映画やCM制作現場が、撮影所経験のない塚本にとってプロの環境を学ぶ格好の機会となった。また「鉄男」の映画祭巡りは、権利保持作の海外販売やビデオ化による製作費調達という方法に結び付き、製作方面でも以後のインディーズ・シーンを牽引することになる。塚本世界は“都市と肉体”が一貫したモチーフとなっており、「鉄男」における肉体と金属の融合は、80年代サイバーパンク・ムーブメントの一環を成す。これは「東京フィスト」(95)や「バレット・バレエ」(00)では、死と暴力を内包した都市に生きる人間像へと進展。倒錯的な性愛を描く「六月の蛇」や人体解剖を題材とした「ヴィタール」(04)では、身体感覚と深層心理の密接な関係性へと変容した。スタイリッシュな映像美と、石川忠の音楽やノイズで形成される塚本世界は、クエンティン・タランティーノほか多くの海外クリエイターを魅了する。近作の「悪夢探偵」シリーズ(07・08)や「鉄男/THE BULLET MAN」(10)はともに20年以上抱えていた企画であり、塚本の追求するモチーフが今も古びていないことを示している。