埼玉県蕨市の生まれ。1975年、5歳の時に劇団若草に入り、同年のテレビ東京『大江戸捜査網』でドラマ初出演。77年の野村芳太郎監督「八つ墓村」で、主人公・萩原健一の少年時代を演じて映画初出演を果たし、80年の「遙かなる山の呼び声」では倍賞千恵子の息子役に扮して、山田洋次監督と出会う。これをきっかけに、山田監督の人気シリーズ第27作「男はつらいよ・浪花の恋の寅次郎」81から、渥美清演じる主人公・車寅次郎の甥っ子・諏訪満男役で錚々たるレギュラー出演陣に仲間入りする。自身の成長に合わせて満男のキャラクターも年々成長し、シリーズ終盤の第42作「ぼくの伯父さん」89からは、寅さんに代わって満男の恋愛譚がストーリーの中心に据えられるようになった。この「ぼくの伯父さん」で日刊スポーツ映画大賞の助演男優賞を受賞。渥美の急逝により、95年の第48作「寅次郎紅の花」でシリーズは終了したが、吉岡が演じた満男は、観客にとっても子供や孫の成長を見守り続けるような気持ちで最後まで愛された。これと並行して、81年に始まった倉本聰脚本のフジテレビ『北の国から』にもレギュラー出演。北海道の広大な自然の中で暮らす家族の姿を感動的に描いた同作で、ナイーブな主人公の少年・黒板純を好演し、父・五郎役の田中邦衛、妹・蛍を演じた中島朋子とともに、幅広い視聴者の共感を呼ぶ。連続ドラマの完結後も純と蛍の兄妹の成長を追うように、『'83冬』『'84夏』『'87初恋』『'89帰郷』『'92巣立ち』『'95秘密』『'98時代』と繰り返しスペシャル版のかたちで続編が作られ、特に『'89帰郷』あたりからは、少年から大人の男性へと成長を遂げる過程での純のとまどいや不安が、さまざまな人々との出会いや別れを通して丁寧に描かれる。吉岡もその苦悩と葛藤を等身大の芝居で好演。2002年の最終作『北の国から・2002遺言』まで、視聴者の圧倒的な支持を受ける人気作となる。この国民的な二大シリーズで、いずれも子役から大人の俳優へと成長していく過程がつぶさに描かれたことから、その間、ほかの映画に出演しつつも、吉岡は長く“満男”と“純”のイメージに支配されていく。『北の国から』のチーフ演出家・杉田成道が監督を手がけた「優駿」88、「ラストソング」94や、初主演映画となった鴻上尚史監督「青空に一番近い場所」94、「男はつらいよ」に代わるシリーズ化が目論まれた山田監督「虹をつかむ男」96・97あたりは、役柄の印象もあって、そうしたイメージに自身も観客も縛られてやむを得ない部分はあったが、黒澤明監督「八月の狂詩曲(ラプソディー)」91、山田監督「学校Ⅱ」96、「学校Ⅲ」98、降旗康男監督「鉄道員(ぽっぽや)」99、小泉堯史監督「雨あがる」00、「阿弥陀堂だより」02などの秀作に次々出演しても、どこかで“満男”と“純”のイメージが求められた。しかし、『北の国から』も終了したあとの03年に、まったく新たな代表作に出会う。離島医療の厳しい現実を前に奮闘する青年医師を演じたフジテレビ『Dr.コトー診療所』がそれで、島の人々との心の交流を通して生命の尊さを体現する“コトー先生”は、子供時代の“満男”と“純”を知らないような若い世代のファンからも支持される新しい当たり役となった。こちらもスペシャル版、続編が作られる人気シリーズとなる。以後も、山田監督「隠し剣・鬼の爪」04、佐々部清監督「半落ち」04,「四日間の奇跡」05、小泉監督「博士の愛した数式」06などで好演し、昭和の文学青年に扮して主演した山崎貴監督「ALWAYS/三丁目の夕日」05・07では、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を二度受賞。12年にはシリーズ第3作「ALWAYS/三丁目の夕日'64」も公開される。テレビドラマはほかに、フジテレビ『少年H』99、NHK『喪服のランデヴー』00、『大仏開眼』10、テレビ朝日『警官の血』09、『遺恨あり・明治十三年最後の仇討』11、TBS『最後の赤紙配達人・悲劇の召集令状64年目の真実』09、WOWOW『CO/移植コーディネーター』11など。02年に『北の国から2002・遺言』で共演した内田有紀と結婚したが、05年に離婚した。