昭和二十二年夏、敗戦による混乱のおさまらぬ時に流行作家の望月王仁は、N県きっての財閥・歌川多門の豪邸で殺された。その時、多門の家には二十九人に及ぶ男女がいた。兇器の短刃からは、二人の女の指紋が発見され、もう一人の女のものと思われる小さな鈴が、害者のベットの下から発見。女中も含めた、二十九人の内、十人は、多門の息子の一馬によって招待された人々で、戦争中の数年間、歌川家に疎開していた人々であった。そして、そこでは一般の人々の想像を絶するような、男女の淫乱な生活が繰りひろげられていたのである。そして、それにも輪をかけてひどいのが、歌川家の複雑な血縁関係であった。その日の午後、望月王仁の屍体は、解剖のために県立病院へ送られた。そして、その夜、珠緒とセムシの詩人・内海明、千草と次々に殺されるのであった。一週間後の八月二十六日、第五・第六の殺人が行われた。加代子がコーヒーにまぜられていた毒物で、多門がプリンの中へ混入されていたモルヒネで殺害され、同時に異なる場所で殺人が起きた。警察も何んの手がかりもなく、確証も見い出せなかった。そして、これは犯人が自分を見分けることのできないようにとしくんだ、不連続殺人事件であることに気づく。第六の殺人から十日目の九月三日、不連続殺人の不連続たる一石が投じられた。女流作家の宇津木秋子が殺されたのである。さらに、六日後の九月十日、明方四時、あやか夫人と一馬が青酸カリによって死亡。事件は海けそめる空にそむいて、再び不明の闇に落ちた。そして、「九月十日・宿命の日」という一枚の貼紙がその闇より不吉に浮び上った。