近畿商事社長・大門一三は、元陸軍中佐・壱岐正を、嘱託として社に迎え入れた。壱岐の、かつて大本営参謀としての作戦力、組織力を高く評価したからである。総合商社の上位にランクされる近畿商事は、総予算一兆円を越すといわれる二次防主力戦闘機選定をめぐって、自社の推すラッキード社のF104、東京商事の推すグラント社のスーバードラゴンF11、五井物産の推すコンバー社F106、丸藤商事の推すサウズロップS156を相手に、血みどろの商戦を展開していた。大門は壱岐を同行して渡米した。壱岐にとっては目的のない旅のはずだったがスケジュールの中に、ラッキード社F104見学が含まれていた。基地ではすでに自衛隊がテストを続行しており、その中に防衛部長・川又空将補の顔もあった。壱岐の渡米は、川又空将補と逢わせるために大門が仕組んだものだった。壱岐と川又は、陸士、陸大を通じての親友であり、終戦の満州で関東軍参謀中佐だった川又は壱岐に一命を救われたこともあった。そのかわり川又は、壱岐が戦後11年間の抑留生活を送っている間、壱岐家の家族--妻の佳子、直子、誠--の面倒をみてやったのだった。川又の推測によれば、二次防の機種は、ラッキード社のF104とグラント社のスーパードラゴンF11に絞られる公算が強いが、最終決定権は総理、副総理、大蔵、外務、通産の各大臣、防衛庁長官などで構成する国防会議にあるため、自衛隊調査団がF104の機能をいくら評価しても思うようにはならない。ついに、二次防の主力戦闘機は、近畿商事--ラッキード社と東京商事--グラント社の凄絶な闘いとなった。すでに東京商事は鮫島航空機部長が中心になり、政界に巨額の実弾攻撃を仕掛けていた。山城防衛庁長官はスーパードラゴン導入の了解工作を完了した時点で防衛庁機種決定案を作成し、国防会議で機種を決定する方針をとり、それと並行して防衛庁の予算と人事を握る貝塚官房長は川又空将補を空将に昇格させて、西部航空方面隊に追い出す計画だった。こうした難局を打開するために壱岐は、久松経企庁長官に的を絞った。壱岐と久松は、終戦直前、内閣書記官長と大本営作戦参謀であった頃からの知己である。久松は、壱岐に、グラント社から巨額な金がすでに総理筋へ流れていることをほのめかした。その金がスイスで銀行に振り込まれる事を予想した壱岐は、日本で換金の際に大蔵省でチェックさせ死金にしてしまう作戦をたてた。防衛庁の莫大な予算折衝も最終段階に入り、久松経企庁長官が、山城防衛庁長官と貝塚官房長の動きを釘付けにしている間に、壱技は、三島幹事長と大川政調会長を味方に引き入れた。数日後、グラント社から流れた政治資金が、横浜の銀行で、大蔵省の機動捜査を受けた。東京商事の鮫島航空機部長は、この影の指揮者を壱岐と直感した。さらに近畿商事はグラント社の極秘書類である価格見積書を入手すべく、元防衛庁職員だった小出の線から、防衛庁防衛課計画班長・芦田国雄を買収、スーバードラゴンF11の型式仕様書と価格見積書を入手した。グラント社の三百機生産の見積書は、一機当り三億四千万円となっていた。その書類は川又空将補のものだった。貝塚官房長は川又に空将として西部航空方面隊赴任を命じた。しかし川又は、機種決定前に去ることに反対し、保身と出世のために政治家と癒着する貝塚を、腐敗する防衛庁の元凶と決めつけた。そんな時、F104墜落のニュースが飛び込んだ。久松経企庁長官は事件をスクープした毎朝新関の記事を差し押えた。激怒した田原記者は、記事を東都新聞に渡し真相を報道したが、丁度、巨額の実弾を用意し、来日していたラッキード社のブラウン社長は、パイロットの操縦ミスと弁明、持参した大統領添書を総理に手渡した。添書には、ラッキード社が正式決定すれば、山積する日米諸問題を考慮することが約束されていた。防衛庁計画班長・芦田が自衛隊法59条一項「秘密を守る義務」違反容疑で逮捕され、その自白により小出も連行された。久松経企庁長官は検察庁工作をする一方、芦田逮捕の指揮者である貝塚官房長を次官に昇格させて口封じを企った。警視庁は壱岐を事件参考人として出頭させ、防衛庁・近畿鱗商事--ラッキード社へ流れた機密書類入手を追求し、検察庁も近畿商事--空幕幹部--国防会議メンバー三者間の贈収賄の摘発に乗り出した。こうした中で三島幹事長は、近畿商事が書類を貝塚官房長の意向通り提出すれば、ラッキード社F104を国防会議で正式決定すると通告してきた。一時は「グラント社内定」から「白紙還元」になり、やがてラッキード社が「浮上--確定」した。一方、川又空将補が近畿商事へ書類を流したものと思った貝塚官房長は、川又を解任した。その川又が、久し振りに壱岐と逢った帰途、轢死体となって発見された。事故死か、他殺か……新聞が動き始めた。貝塚官房長は、川又を事故死としてあつかい、自衛隊葬を行わざるを得なかった。葬儀の席上、貝塚に壱岐の怒りが爆発した。やがて、壱岐は近畿商事に辞表を提出した。しかし、大門社長は「軍隊と同じく厳しい商社の戦いにも、退職願いは許されん」と壱岐の辞表を破り捨てた……。