本名ジョセフ・チェジーレ・コットン。土地のハイスクールからワシントンのヒックマン演劇学校に入り演劇への道を歩み出す。セールスマン、興行会社の社員を経て1930年から舞台に立つ。間もなく演劇界の“アンファン・テリブル(怖るべき子供)”といわれたオーソン・ウェルズが主宰するフェデラル・シアターズ・プロに参加、ニューヨークの舞台に立つ。38年10月、ウェルズ演出で放送され、全米に一大恐慌状態を引き起こしたCBSのラジオ・ドラマ『宇宙戦争』にも、ウェルズが主宰するマーキュリー放送劇団の一員として参加した。そして翌39年ウェルズがRKOに招かれて監督、のちに世界映画史上のベスト・ワンにも選ばれた「市民ケーン」にアメリカの新聞王にふんしたウェルズの友人役として映画デビュー。この映画が当時現存していた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストのモデル事件に発展、映画、新聞界にセンセーションを巻き起こしたことによって、ウェルズはもちろん、コットンも一躍ハリウッドに名をなした。その後もウェルズとの盟友関係は持続し、両者共演による「第三の男」(49)などの名作を残したが、知的で渋い味を持つ二枚目としてのコットンは50年代の終わりを待たずして、その影をうすめた。31年に結婚したノーア・キップに60年死別、同年パトリシア・メディナと再婚。183cm、84kg。髪はブラウン、瞳はブルー。