昭和20年夏。戦時下の岡山県日比の海岸を、開業医・赤城風雨が走っていた。彼は父の代からの家訓である「開業医は足だ。片足折れなば片足にて走らん。両足折れなば手にて走らん。疲れても走れ。寝ても走れ。走りに走りて生涯を終らん。」を胸に、こうして病人の家を往診して回っているのだ。しかし、病人たちは殆ど無償に近い値段で診てくれる風雨に感謝しながらも、その一方でどんな患者にも肝臓炎としか診断しない風雨のことを「肝臓先生」と渾名するのだった。ある日、田舎には珍しい美少女・ソノ子が赤城医院に看護婦としてやって来る。幼い弟妹を養う為、淫売をしていたソノ子は、父親の死をきっかけに監視役を押しつけられた風雨の下で働くことになったのだ。それから暫くして、風雨に岡山県医師会からブドウ糖注射を使いすぎるのではないかという指摘がなされた。肝臓炎にはブドウ糖が欠かせない。風雨は医師会に強く反発。また、軍医部長の池田中佐からも同じような勧告を受けるが、彼は怯むことはなかった。むしろ、それを機に偶然手に入った顕微鏡を使って、肝臓炎の病原体の研究をしようと意気込む始末。医師仲間でモルヒネ中毒の鳥海、町の住職でアルコール中毒の梅本、そしてソノ子が助けた脱走兵で母国オランダでカメラ会社に勤務していたというピートの協力を得て、風雨は研究に没頭する。更に、満州で戦死した息子から肝臓炎に関する調査報告が送られてきたことで、彼の肝臓炎撲滅への意欲は燃え盛っていく。しかし、風雨たちはピートを匿った罪で当局へ連行されることに。料亭・紫雲閣の女将・トミ子の計らいで風雨たちは釈放されるが、ピートは獄中で拷問を受けて死亡。研究も振り出しに戻ってしまう。しかし風雨は諦めなかった。再び顕微鏡を入手した彼は、研究に邁進する。ところが、研究に没頭するあまり、診察を受けられなかった町の老人が死んでしまった。遺体を前に打ちひしがれる風雨は気づく。自分は町医者に徹するべきであることを。思いも新たに離れ小島へ往診に出かけた帰り、舟の中でソノ子に愛を打ち明けられた風雨は、遙か向こうにキノコ雲が揚がるのを見る。